夢十夜

     −第五夜 危険な遊戯−



























こんな夢を見た。



いつものように鏡を覗き込むと

其処では俺と同じ顔をした誰かが

不敵な笑みを浮かべていた


「俺とゲームをしよう?」




























「俺とゲームをしようよ」


黙った侭ピクリとも動かない俺に

鏡の中の人物は再びそう告げた

背筋に冷たいものが走る

部屋にある大きな姿見

其処に映るのは俺である筈なのに

俺じゃない

柔和な微笑を湛えているその誰かは

何処か狂気に満ちていて恐ろしかった


「ルールは簡単なんだ。俺が君を追いかけるから、君は只管逃げてればいい。」

「ちょっ、ちょっと待ってよ」


声が掠れる

喉がカラカラに渇いていて

俺は唾を飲み込んだ

その音が やけに大きく聞こえる


「何?」

「俺、ほら、起きたばっかりじゃん?」


俺は毎朝目が覚めると

必ず此処で寝癖をチェックする

その証拠に鏡の中に居る俺である筈の人物も

パジャマの侭の姿だった


「大丈夫だよ。そんなこと関係ない。」

「でも・・・」

「証拠が見たいのなら、下の階に降りてご覧よ。」


何の証拠を見せるつもりなのかはわからないが

彼は顎で扉を指し

下に降りるように促した

俺は部屋の扉を開けると

彼の言う通りに階段を降る

ひんやりとした床の感触

物音一つしない


おや?


其処で初めて俺は異変に気づいた

そう 物音が一つもしない

今日は日曜日

いつもならフライパンや食器が奏でる

喧しい音楽や

テレビのニュースの音等

様々な音が交じり合って

廊下に反響している

なのに今日は 恐ろしい程に静まり返って

人が居る気配もない

それだけではない

窓の外の蝉の声や

小鳥の囀りさえも

今朝は聞こえてこない

まるでこの世が深海の底に落ちたかのように

音の無い世界が此処には在った


ギシッ


階段の軋む音に心臓が跳ね上がる

一気に恐怖心が増し

俺は自分で自分の肩を抱いた


『証拠を見せてあげるよ』


それはこの不可解な現象に対する

証拠なのだろうか

それならば

その証拠を見た時

俺は


「なんか、怖い・・・・」


この世の者でいられるだろうか




























握った掌が汗で濡れてる

お願いだから

この手を離さないで




























思ったとおりリビングには誰もいなかった

キッチンにも

寝室にも

玄関にも人の姿はない

俺は思わず溜息を漏らす

一体この家はどうなってしまったのだろう

最後にまさかとは思いつつも

洗面所の扉を開けてみた

思った通り 其処ももぬけの空

今までの中で一番大きな溜息を漏らすと

鏡から小さな笑い声が聞こえた

驚きそちらを振り返ると

俺の部屋に居た筈のあの誰かが

鏡の中で楽しげな笑い声をたてていた


「ね、心配しなくても此処には俺と君以外誰もいないよ?」

「どうして・・・」

「鏡は異世界との連絡口・・・ほら、昔から鏡には不思議な言い伝えが多いでしょ?

 鏡は何万、何億という異次元の世界を繋いでるんだ。鏡に入ってしまった人達は、

 偶々その異次元に引き込まれてしまっただけ。」

「異、次元?」

「そう、そして君も、異次元への扉を開けてしまった。」


毎朝の習慣

いつも通りの目覚め


「此処には遮るものなんて何もないよ?」


唯繰り返しただけなのに

同じような日々

単調な日常の幕開けを

滑稽に演じただけだったのに


「誰もいない・・・何もない」


望んでいた筈の非日常的要素は

俺の期待を大きく裏切り

歪んだその全貌を現した


「だから、俺と遊んでいようよ。」


鏡の表面が

石を落とした水面のように

大きく乱れる

其処から白い手首が突き出し

その両手が

がっしりと俺の両頬を捕らえた


「ずっと・・・・夢の中で」




























地面を蹴る足は痛みに悲鳴を上げてる

それでも立ち止まらない

立ち止まれない

捕まったら

あいつに捕まってしまったら

俺は・・・




























汗で背中に張り付くパジャマ

裸足で踏むアスファルトは思ったよりも凹凸が激しい

しかし 不思議と痛みはなかった

壁を乗り越え

見知らぬ家の庭に着地する

開きっぱなしの窓から中へお邪魔して

俺はキッチンを探した

喉は渇いてヒリヒリと痛んでいる

とりあえず水分を補給しなくては

廊下に出て奥の部屋の扉を開けると

冷蔵庫らしきものを発見した

ペットボトルの水をありがたく頂戴する

蓋を開けラッパ飲みをすると

体の奥まで染み渡るような冷たさが心地よかった

床にペタリと座り込み

暫し休憩する


「もう・・・疲れた・・・・」


あれからどのくらい走ったのだろう

壁にかけてある時計に目を遣る

ところがその時計には

長針も短針もない

秒針さえもない

辛うじて文字盤だけが残されている

そしてその文字盤がこの物体を時計だと判別させる

唯一の要因であり

それがなければ

それは唯の壁掛けに見えただろう


「やっぱり、此処も・・・か」


どうやらこの世界には『時間』という観念がないらしい

その証拠にどの家の時計を見ても

この家と同じく

およそ時計の役割をこなせる筈もない代物ばかりだった

目を瞑り 精神を落ち着かせる

目蓋の裏に映し出されるのは

鏡の中で

狂った笑い声を立てる











―ルールは簡単だよ

―俺は君の像が映る場所なら何処にでも一瞬で移動することが出来る

―君は俺に捕まらないように

―逃げて逃げて

―この巨大な街から

―迷路から

―抜け出せばいい

―日没までにね









俺に拒否権はなかった

捕まれた頬が痺れる

血走った目に射抜かれて

俺は唯思った

嗚呼 こいつは本気なんだ と

それからとりあえず走った

走って 走って

どれだけ走ったかなんて覚えてない


「日没まで・・・・時間がないよ」


家から出た俺は

この巨大な迷路に迷い込んだ

見慣れた街が増殖し 変化している

まるで生きているかのように


「そろそろ、行かなきゃ」


行き止まりばかりで

何処がゴールかもわからない

でも 逃げなくちゃ

あいつに捕まったら

俺は・・・


ガタン


ふいに後ろから大きな音がした

恐ろしくて振り返ることも出来ない

心臓が早鐘を打つ

何者かが近づいて来る気配がしたかと思うと

相手は後ろから掴み掛かって来た


「いやぁぁ――――――――――――っ!!!!!」


叫びながら手足をバタつかせ

思い切り抵抗したけれど

羽交い絞めにされて

床に捻じ伏せられてしまった

息が止まるかと思う程の痛み

助けて・・・助けて・・・っ!!!!


「菊、丸・・・・?」


相手は俺から手を離し

掠れた声で尋ねてきた

荒い息が聞こえる

怖くて顔が上げられない

どうして俺の名前を知ってるの?

訊きたくても声が出ない


「どうして・・・・此処に居る」


聞き覚えのある低い声

恐る恐る顔を上げると

其処には


「て・・・・づか・・・・?」


驚いたような表情を浮かべ 

俺を覗き込んでいる

手塚が居た


「・・・どうしたんだ?」


言葉を発する余裕はなかった

俺は懐かしい手塚=現実世界との繋がり を目にし

涙が出そうな程感動していた

そしてその感動を伝えようと

力一杯彼に抱きついた


「き、菊丸!!!???」


動揺して手塚は俺を引き剥がそうとしたけれど

俺は離れまいと一層両腕に力を込めた

この手を離せば

手塚が消えてしまいそうで

永遠の闇に一人

放り出されてしまいそうで

怖かったんだ

手塚も俺の尋常じゃない様子に驚いていただけのようで

状況に慣れてくると

俺を気遣うように

そっと抱き返してくれた

温かい 手塚の体温

泣き止もうとしない俺の髪を撫でながら


「大丈夫だ・・・」


いつもと同じ低くて甘い

穏やかな声でそう言ってくれる


「・・・あり、がと」


俺は大分落ち着いて来たので

手塚にお礼を言った


「礼なんか良い。それより、一体どうしたんだ?」


俺はゆっくり手塚から離れると

泣き腫らした目で

彼を見つめた

強い

真摯な目をしている


「手塚は・・・・どうして此処に・・・?」

「休日に自分の家に居ることが可笑しいことか?」


そうか 此処は手塚の家だったんだ

手塚は怪訝な顔をして俺に訊き返してくる


「お前こそ泥棒のように人の家に上がり込んで何をしていたんだ?

 おまけに、そんな格好で・・・」

「それは・・・・」


一言で言えることでは無い

俺は時々言葉に詰まりながらも

何とか自分の状況を説明した


「だから手塚も・・・・今は異次元の世界に居る、ってことになるんだけど・・・」


手塚は悩んでいるようで

先ほどから一言も発しない

確かにこんなに非現実的な話を

現実主義の彼に信じてもらうことは容易ではないだろう

手塚は額に手を遣ると

呟くようにこう告げた


「・・・確かに、今朝目覚めた時から違和感はしていた。」

「違和感?」

「嗚呼、あまりにも家の中が静か過ぎたからな。」


やっぱり

しかし 彼は特に疑問を持つわけでもなく

今まで自室で読書をしていたらしい


「それで・・・そのゲームに負けたら、お前はどうなるんだ?」


手塚は逸らしていた視線を俺の方に戻し

真剣な口調で尋ねてくる

俺は唇を噛んだ

そんなこと 考えたくも無い


「・・・捕まって・・・多分、二度と帰れない。」


言葉に出すと

それは重みを増した


二度ト 帰レナイ


重圧に耐え切れず 心が潰れてしまいそうだ


「出口を探そう。」


手塚はそう言った

俺に向けられている

強い眼差し


「俺がお前を連れて行く。」


俺は嬉しくて

本当に嬉しくて

つい甘えてしまったんだ

手塚の両頬に手を当て

温かいその体温を感じながら

俺は 確かめるように問いかけた


「・・・俺を、守ってくれる・・・?」


手塚はそれに応えるかのように

俺を引き寄せると

唇を重ねて

深く 深く

貪るようなキスをした

身体が溶けそうに熱い

炎天下の路上で見る

白昼夢のようなキス

俺をこの悪夢の中から救い出してくれる

王子様の

キス




























あのキスさえなければ

君を巻き込まずに済んだかもしれなかったのに

君を

失わずに済んだかもしれなかったのに




























あれからどのくらい走ったのだろう

繋いだ手と手が汗で滑る

お願い 俺を連れて行って

この悪夢の終わりまで


手塚が突然立ち止まる

俺は目の前の壁を見つめながら

絶望の呟きを漏らした


「また・・・行き止まり・・・」


倒れこむように塀に凭れ掛かる

そろそろ二人共 体力の限界だった

太陽は傾き始めている

時の流れは 無情だ


「菊丸、大丈夫か?」

「大、丈夫・・・」

「其処の家で休もう。」


手塚に引きずられるようにして家の中に入ると

冷たいフローリングに倒れこんだ

凄く 心地が良い


「水を探してくる。その間にシャワーでも浴びた方が良い。」


手塚がバスタオルを差し出してくる

ぼんやりとした侭の頭でそれを受け取ると

俺は洗面所の方へ向かった

洗面台の蛇口を捻ると

冷たい水が吹き上げてくる

俺は顔を洗うと

手塚に貰ったタオルでそれを拭った

顔を洗うだけにしようと思っていたけれど

背中を伝う汗は気持ちが悪い

やっぱり シャワーを浴びよう

そう思い

服を脱ごうと衣服に手をかけると

誰かの視線を感じた

背筋が凍りつく

そう

視線を感じたその先に在ったものは

薄暗い洗面台の上で

僅かな光を反射して鈍く光っている





そしてその中で紅い唇を奇妙に歪ませた俺が

こちらに向かって手を伸ばしている

危ない

そう思った時にはもう遅かった

鏡の表面が歪み 波紋のような渦を描いたかと思うと

スルスルとあいつの上半身が現れ

その白い両手が

俺の首を掴み 締め上げた

凄い力だ

気管が押し潰されそうになっている

呼吸が出来ない

もがき苦しみながら必死で抵抗する

傍にある棚の上の物を薙ぎ倒すと

硝子の割れる音が響いた

相手はケラケラと笑い声をたてながら

一層力を込めて

俺の首を締め付けた


助けて

死んじゃう

手塚・・・・・っ!!!


「英二!!!!!!」


意識が途切れそうになったその時

手塚の声が聞こえた

首を締め付けていた力が緩まっていくのがわかる


「英二・・・英二っ・・・・!!!」


必死で手塚が俺のことを呼んでる

大丈夫だよ

俺ちゃんと生きてるから

それよりも


「て・・・・づ・・・かっ・・・」

「英二、大丈夫か!!!??」

「・・・・・・今、なまえ、呼ん・・・でくれ・・・た・・・?」


手塚は黙っていて

不思議に思った俺が目を開けると

手塚の顔は真っ赤だった

その姿がなんだか愛しくて

堪らなくて

手を伸ばし

力のこもらない手で

手塚にしがみついた


「怖かっ、た・・・怖かったよぉ・・・・」


手塚は無言の侭

強く抱きしめ返してくれる

手塚が居てくれて良かった

手塚が居なければ

今頃・・・


「・・・そろそろ、行くか?」


暫く手塚の胸で泣いた後

俺達はその家を出た

日は暮れかけている

もう 迷っている時間は無い




























俺達があの家で休んでいる間に

通り雨があったらしい

道は濡れていて走りにくかったし

至る所に水溜りが在った

もう既に空の色は茜色

日没まで

後30分も無いに違いなかった


「もう・・・いいよ、手塚・・・っ」


急に意味が無いことをしているような気がして

俺は立ち止まった

足はジンジンしているし

脇腹も痛い

どうして俺は

こんなに必死になっているんだろう


「英二・・・?」

「もう無理だよ・・・抜け出せる筈がないよ・・・」

「何を言っているんだ?」


涙が溢れてくる

もう駄目だ

間に合いっこない


「間に合うわけないよっ!!!!」

「諦めるな!!!必ず、必ず俺が助けるから・・・っ!!!!」

「じゃあ助からなかったら?助けられなかったらどうするのっ?」


俺のことなんてどうでもいい

此処から抜け出せなかったら

手塚は

手塚はどうなるんだろう


「その時は・・・」


この世界で

誰も居ない世界で


「俺も、一緒に行ってやる・・・

 英二があいつに連れ去られても、必ずまた俺が助ける・・・!!!」


一人きりで

ずっと・・・


「手塚・・・・」


そんなことは出来ない

手塚を一人きりになんて 出来ない


「日没までまだ時間はある。走るんだ。」


手塚は俺の手を握りなおし

走り出した

必ず此処を抜け出すんだ

二人で

角を曲がる

二つの分かれ道


「こっちだ!!!」


右の道を選ぶと

全力で駆け抜ける

再び角を曲がって

その先にあるのは・・・


「手塚・・・・手塚、見てっ!!!」


道路一面に白い靄が広がっていた

その先は 何もない


「あそこが・・・」


やっと見えたゴール

諦めずに

俺の手を引いてくれていた手塚


「手塚、帰れるよ!!!手塚・・・・っ!!!」


嬉しくて

目の前は涙で霞んで

その気持ちを分け合うかのように 俺達は抱き合った

手塚の腕の力は強くて

少しだけ苦しくて

身体中が痛みを訴えた

でもこの痛みが

この痛みこそが

俺に手塚を与えてくれた


「国・・・光・・・」


愛しい人の名前を呼ぶ

この巨大な迷路の中で

果てない闇の中で

君は

たった一つの光をくれた

見つめあい

俺達はキスをする

言葉なんかじゃ足りない

もっと直接的に

君を感じたいから




























唇が重なり合おうとした瞬間

足元の水溜りに 足が沈んだ


「え・・・・っ?」


何かに足を引っ張られている

恐る恐る足元に視線を移すと

水面からは

青白い両手が覗いていた

俺は忘れていたのだ

あいつが始めに言ったことを





『俺は君の像が映る場所なら何処にでも一瞬で移動することが出来る』





そう

あいつが出て来れるのは鏡だけじゃない

そして今 あいつが出て来たのは

おぼろげに俺の姿を映した

足元の水溜り

ズルズルと

奈落の底から競りあがってくるように

俺の前に

俺が姿を現した

濡れて肌に張り付いた朱い髪

血走った目が

不吉な笑みを浮かべている

俺達は

蛇に睨まれた蛙のように

視線さえ剥がすことが出来ない





掌で鉄砲の形を作ると

あいつは俺の額にそれを押し当て

楽しげにこう言った





まるで子供が

無邪気にかくれんぼをしていたかのように




























「見ぃつけた〜・・・!!!!!」




























目が覚めると 俺はベッドの上に居た

毎朝同じ日常

全く代わり映えもしない 習慣

ピエロのように

仮面の下に本音を隠して

このつまらない世界で

演じきって見せようじゃないか

腐敗した台本に刻まれた

醜悪な台詞達を

俺は

鏡を覗き込みながら欠伸を噛み殺している

俺であり

俺ではない誰かに向かって

最も親しみのある笑みを浮かべると

こう告げた









「俺とゲームをしよう?」









悪夢はまだ 始まったばかりだ・・・









END.