夢十夜

     −第三夜 冷たい塊−



























こんな夢を見た。


俺は身体をガタガタと震わせて、ベッドの下に隠れていた。

悲鳴が響く度、足音が近づく度にびくりと肩を揺らし、

その度にベッドにぶつかって音を立ててしまわないかと肝を冷やす。


「もう、やだ…何だよこれ…。」


怖い。

怖い。

怖い。

気を抜けば発狂しそうになる自分をグッと押さえ込んで、声にもならない声を呼吸に乗せた。


ガチャ


ついにドアの開く音が響いて俺の心臓は今にも飛び出しそうに跳ねている。

見知らぬ赤く染まった靴が、俺の前を行き来した。

その靴を赤く染めたのは間違いなく、人間の血液で。

漂ってくる血の匂いに吐き気を覚えながらも、

早く出ていってくれる事だけを祈りながら、俺は出来るだけ息を殺す。

ふいに靴は俺の目の前で止まってゆっくりしゃがみ、

ベッドの下を覗き込んできた。

目が合って、思わず悲鳴を上げそうになる。


「ッ!!!!!!」


しかし、上げようとした悲鳴は、寸前の所で突然突っ込まれた枕に阻まれた。

俺が驚いている内に新しい足音が現れて、靴の主と会話を始める。


「おい、残りは?」

「いや、どうやら逃げられた後のようだ。」

「チッ…勘のいい奴らだな。母親もだよな?

 俺は母親の方を殺るから、お前は末弟を。」

「あぁ。」


殺る。

その一言に、もう一度悲鳴を上げそうになって、突っ込まれた枕をぐっと噛み締めた。

一つの足音は去ったが、もう一つの…おそらくこの枕を突っ込んだ主は動く気配がない。

殺される。

見つかってしまった。

殺される。

それだけが頭の中をぐるぐると回って、今すぐ逃げ出したい気分になったけれど、

逃げ出せばアイツがいる。

ガタガタと震え続ける身体を、音を立てないよう抑えようとしながらも、

もう見つかってしまったのだから意味はないかもしれないとも思った。

一向に動く気配のない靴をじっと見ながら、俺は小さく浅く息を繰り返している。

それからどれだけ経ったのだろうか。

血に赤く染まった靴が角度を作り、またゆっくりとしゃがむ。

そして俺の方に手を伸ばし、そいつは俺の名を呼んだ。


「英二…頼む、出てきてくれ。」


聞き慣れた声と口調に驚き、俺は持っていた枕を手放して呆然と彼の名を呼ぶ。


「…手、塚…?」


おそるおそる差し出された掌を掴むと、ぬるりとした感触。

驚いて手を放すと、手に付いている血に気付いた手塚はゴシゴシと服で拭った。

もう一度差し出された手の残った血の跡に触れないよう手を取って、

混乱した頭のまま、怯えながら這ってベッドの下から出る。

外は明るくて、少し眩暈がした。

瞼を何度か擦って、改めて目の前に立つ手塚を見上げる。

その、見慣れた彼のあまりに見慣れない様子に俺は声を無くした。

服のいたる所に血がべっとり付いていて、いつもかけている眼鏡は少しひびが入っている。

手に持っているのは、手塚にはあまりにも似つかわしくないもので。


「何、で…?手塚、何でそんなモン持って、俺ん家にいるの…?」


真っ黒の、服と同じく所々に血液の付いた拳銃。


「…お前が狙われているのはわかっているな?」


俺の問いには答えず、手塚はそう言った。

いつも真っ直ぐな目をしている彼は、今も真っ直ぐに俺の目を見て、それを問う。

理由なんてわからないけど、狙われているのはわかる。

俺は一度頷いた。


「手塚が…俺を、殺すの?」


先程の会話で聞こえてきた『末弟』は、きっと俺の事だ。

怯えた目を向けると、初めて手塚が俺から視線を逸らした。

俺の前でだけはあまり刻まれない眉間の皺も、今は俺が知る限りで一番深い。


「出来るわけが…ない。」


ぽつりと呟いて、手塚は再度俺の方を見た。


「とにかく、誰が戻ってくるともしれないこの場を離れる。

 …なるべくなら目隠しになるが…家を、出られるか?」


手塚の身体にまとわりついている血液は、彼のもでないならおそらく俺の家族のもの。

すなわち、この家を出る為に家の中を歩くという事は、

俺が、見たくないものをも見てしまうかもしれないという事を表していて…。

カタカタと震え出した俺の肩を、手塚は優しく撫でた。

けれど、その掌は俺の家族の血で汚れてる。


「嫌だよ…手塚…何で…なんでこんな…!!!」


掌を拒絶しながらも縋るような目で見上げる俺を、手塚は抱きしめようと引き寄せかけて、止まる。


「全て、説明すると約束する。…とにかくここを出よう、英二。」


その、歯がゆそうな、痛々しいような表情に、俺は手塚を信じて一度頷いた。

なるべく周りを見ないように、『誰』も見ないように手塚の背にしがみついて、家を出る。

外に出る直前、血に汚れた服を隠すようにスーツとズボンを上から着直した手塚に連れて行かれたのは、

見慣れた、彼の部屋だった。


「身体を洗ってくる。電話やインターフォンは無視して良い。

 窓には近づくな。あまり大きな声も出すな。それ以外なら、何をしていても良いから。」


一度頷いて窓からから少し遠い場所にあるキッチンの隅に座った。

わけがわからない。

俺が、俺の家族が、一体何をしたというのだろうか。

悲鳴を聞いた。

兄ちゃん、姉ちゃん、じーちゃん、ばーちゃん、とーちゃん。

銃声も、沢山聞いた。

打たれた直後、最期の声も、人数分聞いた。

また恐怖がよみがえってきて身体が震えだし、キッチンの壁にピタリと身体をくっつける。

ひんやりとした感触が、じんわりと身体に伝わっていく。

暫く呆然とどこを見るでもなくそうしていると、カタ、と小さく物音が響いてびくりと反応した。

物音のした方を見ると、手塚が心配そうな、歯がゆそうな、やっぱり痛々しい表情で俺を見ている。


「手塚…。」


縋るように手を伸ばせば、抱き寄せてくれた。

手塚の体温に包まれて、その暖かさに息をするのも困難に思う程の嗚咽が漏れる。

何で、何で。

ガタガタと震える身体と流れる涙。

俺をあやすように撫でる手塚の掌も、震えている。


「英二…全てを説明する前に、一つだけ言わせてくれないか。」

「うん…。」


抱き付いたまま手塚の言葉に頷くと、少し躊躇した後、手塚の腕が俺から離れた。


「国中がお前を狙っていると思ってくれ。…これを、持っていて欲しい。」


手渡されたのは、あの、真っ黒い拳銃。


「て、手塚ッ…!?」

「役所の人間だろうと、警察だろうと…誰も信じるな。」


手塚は俺の目を見て、そう言いきる。

淀みないその瞳に俺は一度頷いて、その黒く重い塊を受け取った。

直後、ピピピピピと電子音が響いて、俺はびくりと肩を揺らす。

音の発信源である携帯のディスプレイを見て、手塚はホッと息を吐いた。


「大丈夫だから、怯えなくて良い。…出ても良いか?」


安心させるように俺に微笑みかけながら、手塚は手の中の携帯を揺らす。

俺が一度頷くと、少し待ってろ。と言って、手塚は立ち上がって携帯のボタンを押した。


「どうした。」


相手の声は、俺には聞こえてこない。

それから手塚はいくつか会話を交わして、電話を切った。


「少し出てくる。すぐ戻ってくるが…一人で大丈夫か…?」


俺を見下ろして言う手塚の声と表情が心配をありありと表していて、俺は少しだけ笑って頷く。

俺の髪を一度撫で、額に唇を寄せて手塚は出て行った。


「は、ぁ…。」


ぱたん、と閉じられたドアの音を聞いて、俺は小さく息を吐く。

本当は、大丈夫なんかじゃないけど…

そう言えば、手塚はこの部屋から一切出られなくなってしまうから。

こうなった理由、聞きそびれてるな…。

そう思いながら小さく震え続ける身体を押して、部屋の端にあるベッドに移動しようと身体を起こす。

そこに手塚の香が残っている事を、俺は知っているから。

身体をなんとか起こした時、足にさっき手塚に渡された黒い塊があたった。

少し考えて、一応、とポケットに入れて立ち上がる。

身体を引きずりながらベッドに向かう途中、少し近づいた窓から、手塚の姿が見えた。









・・え・・・?









手塚の隣には、制服に身を纏った、一人の人。

俺は手塚の注意も忘れて、窓に張り付いていた。

少し話をして、ここへ戻ってくるのか一緒に歩いてくる。


「何で…?警察、信じるなって…。」



もしかして、と思う。

まさか、と思う。





本当は俺を殺す気で…!?





ガタガタとまた身体が大きく震えだして、ペタリ、と床に座り込んだ。

散々安心させたのは、ここから逃げないようにする為…?

俺を殺す事が出来ないから、警察に頼むの?

そんな訳がない、と。

手塚に限って、と。

思えば思う程、身体の震えは増していく。

焦って立ち上がり、飛び込むようにベッドに入って布団を頭まで被った。

布団に残っている手塚の香に包まれても、身体の震えは増していく。


まさか。

そんな訳ない。

手塚に限って。


ぐるぐると否定の言葉ばかりが頭を回るけれど、それはつまり手塚を疑っているという事で。

何か理由があるはずだ。と自分に言い聞かせるけれど、どうしても恐怖の方が勝ってしまう。


殺される…?

俺が、手塚に…?




手塚に、

裏切られた…?





「手…塚…てづ、か…手塚ぁ…!!」


小さく何度も彼を呼ぶけれど、その度に震えは増していって。

がたがたと震えている内に、指が、冷たい塊に当たる。

は、と突然意識が鮮明になり、かぶっていた布団を剥ぐように起き上がって指に当たった物を掌に乗せた。


真っ黒な、小さく血痕の残った、拳銃。


カタカタと震える手で、ぎゅ、と握る。

握った指に伝わるのは、あたたかな温もりなどではなく、固く、冷たい感触。

鮮明な意識の代わりのようにうつろな目で、それを見つめる。





ねぇ、手塚。もしかして…まさか…

誰も信じるな。の、誰もの中に、お前も入ってた…?





その冷たい塊をするりと撫で、コツリ、とこめかみに当てた。



…冷たいよ。


「て づ か … 」





名を呼んだ直後、カタン、とドアの外で音がする。

ドアの外の靴音は、二つ。

戻ってくる。

入ってくる。





今度こそ、殺される…?








冷たい塊に冷や汗が流れ着いて、ゆっくりと真っ黒なカラダを伝っていく。

カタカタと震え続ける手の所為で、その滴はポタリ、と俺の膝に落ちた。





「ゴメンね…。」


信 じ ら れ な か っ た 。





冷たかったはずの感触に、体温が移って少しぬるくなった。









「ああぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあ!!!!!!!」




























ド ン




























そこで俺の意識はぷつりと途切れた。


だからもう、知ることもできない。



こんな事になった原因も、

何故手塚が拳銃を持って俺の家にいたのかも、


「…えい、じ…?ッ英二!!!どうして…一体何が…!!!!」


物言わぬ俺を見て、手塚がどれだけ悲しむのかも、


「嘘でしょ…?英二ッ!!もう、少しだったのに…!!!」


制服に身を包んでいたのが本当は俺を助けようとしてくれていた、

大事な親友だったことも…

全て。









END.