昔々ある国に 人形使いの男が一人おりました

男は国の外れにある小さな村で

人形に囲まれて暮らしていました

その男は大層綺麗な顔立ちをしていましたし

とても物知りでした

しかし 男には友人が一人も居ません

何故なら

男はとても変わり者だったからです

男は寂しさを紛らわす為に

毎日毎日人形を作っては

その人形を主人公に

物語を作っていました

竜に攫われたお姫様を助けに行く騎士の話

何年もお城に閉じ込められた侭眠っている

美しいお姫様の話

富と名声を得る為に悪魔と契約を交わしてしまった

哀れな旅人の話

男の作る物語は

何処か哀愁に満ちた

悲しい物語ばかりでした

ある日

男はこう考えました

私は今までいくつもの人形と

それに纏わる物語を作ってきたが

それを誰かに見せたことはなかった

この私の胸に蟠りを作っている

満たされぬ思いは

誰かに認めて欲しいという願い

誰かに

愛されたいという

悲痛な叫び

そうだ

私は友が欲しかったのだ

自分を信頼し

自分を認め 愛してくれる

そんな無二の友が

そして彼は決意したのです

世界一美しい人形を作ろう

そしてその人形に名前をつけて

自分の親友にしよう

心を込めて作ったものには

その者の魂が宿ると聞いたことがある

今まで私が作ってきた人形達は

唯の虚ろ

空っぽの心で作ったもので

自分の心が満たされる訳はないのだから

それから男は毎日日が昇る前に起きて

せっせと人形を拵えました

男は人形を作るのが得意でしたが

丁寧に丁寧に作るので

いつもの二倍程時間が余分にかかってしまいました

そして十日目の晩に

ようやくその人形が完成したのです

柔らかな紅い髪に

白い肌

黒々とした睫毛は長く上を向き

頬はまるで血が通っているように血色が良く

今にも動き出しそうな程

全てが生き生きと輝いていました

男は思わず溜息を漏らし

その人形を見つめました

なんて綺麗な人形なのだろう

この人形ならば

きっと私の願いを叶えてくれるに違いない

さぁ 目覚めておくれ

男は期待に胸を膨らませ

満足げな表情で

ずっと前から決めていた人形の名を

その白い頬に触れながら呼びました


「・・・英二」




























夢十夜

     −第九夜 Endless story−



























こんな夢を見た。


「これが、手塚の物語?」

「嗚呼」

「とても・・・素敵な話。」

「ありがとう」

「俺は、手塚に作って貰ったんだから。だから、手塚がいなくなるまで、

 ずっと傍に居るよ・・・?」

「嗚呼・・・ずっと、一緒だ。」

「ずっと、ずっと傍に居てね?だって・・・この世界は、手塚が作ったんだから。」



























舞踊り

朗らかに謡う

快楽人形

此処は人形の街 スピリット

夢と空想の街

元は夢も希望も無く荒れ果てていたこの街で

絶望に生きる人々は

涙の中で許しを請うた

嗚呼 何故こんなにも苦しまなければならぬのか

何故こんなにも報われぬのか

今思えば それは神の啓示

ある日街に住む一人の若者が

娯楽の無い街の為に

一体の人形を作った

舞踊り

朗らかに謡う

快楽人形

その人形を切欠に

人々は人形作りを産業として

この街を栄えさせた

そしてこの街は

人形の街と呼ばれるまでになったのである









潮風が優しく

俺の頬を撫でる

海鳥の鳴く声と

静かな濤声

深く息を吸い込むと

翠色の風は海の香りがした


「寒い・・・」


悴んだ手をもじもじさせながら

俺は白い吐息を吐く

もう冬がやってくるのだ

俺は何だか少し淋しくなって

遠く水平線を見るように

そっと目を細めた

すると突然後ろから黒い手袋をした手が伸びてきて

ひしと抱きしめられる

冷たい首筋を

温かい君の吐息が掠める


「おはよう・・・」

「手塚・・・起きてたの?」

「何処に行ったのかと思った・・・探したぞ。」

「ごめんね。」

「朝の散歩か?」

「そんなところ。」


少し眠たげな手塚の表情に

俺はクスクスと小さく笑って

その冷たい頬に

触れるだけのキスをした

おはようのキス

手塚は照れたように笑って

それからぎゅーって抱きしめてくれた

幸福な時間

失いたくない 時間


「ずっと」


俺が呟くと

手塚は怪訝そうな顔で

こちらを覗き込んでくる


「ずっとずっと・・・この侭で居られたらいいのに・・・」


手塚は何も言わなかった

ううん だけどわかってる

手塚も

俺も

終焉が近いんだってこと


「俺達で・・・終わらせなきゃ・・・」


自分の幕は自分で引かなきゃね?

この物語の結末は

俺達が決めなきゃいけない


「英二・・・そろそろ行こう。」


手塚はそう言って膝についた砂を払うと

俺の手を取って

歩き出した

もしかしたら

あの時手塚は

泣いていたのかもしれない

繋いだ指先が

少しだけ

震えてたから



























手塚と俺が出逢ったのは

俺がこの世に生まれて来た時

だって 俺は手塚が作ったんだから

この街には

傀儡子と呼ばれる人形使いと

人形達が暮らしてる

傀儡子は自分の命を削って人形に命を吹き込み

そして自我を与える

自我を持つと言っても

もちろん人形は傀儡子に逆らえないし

逆らおうともしない

もしも傀儡子が死んでしまったら

人形は唯の虚ろ

空っぽになって自分も死んでしまう

傀儡子という職業は

人形に精力を取られる為

割と短命らしい

けれどごくたまに

人形の方に先にガタがきて

壊れてしまうこともある

そういう時

人形が壊れたからといって

傀儡子が死ぬわけではないんだけど

後を追う人も少なくはない

傀儡子は

自分の命を削ってまで

人形に生命を与える

その代わり

人形と傀儡子は

愛よりも深い絆で

結ばれる

それが傀儡子に伝わる古からの教え





人形のタイプは二つに分類される

一つは 傀儡子によって器を作られたオリジナルタイプ

もう一つは

元々人間だった遺体に命を吹き込んで人形にした

リボーンタイプ

昔はオリジナルのタイプが主流だったんだけど

今はリボーンタイプも増えてきてるみたい

こちらのタイプの方が技術的に困難なところもあるんだけど

傀儡子にとって人形は

特別だから

もしも大切な人がそういう形でも

生き返ってくれるのなら

そういう想いが

このタイプの人形を生んだんだと思う

因みに俺は後者のタイプで

生きてた頃は手塚の恋人だったんだって

その頃手塚には別の人形が居たらしいんだけど

あまり詳しい話は聞いたことがない

人形になった時

前世での記憶は消えるから

でも 手塚に逢った時

生まれ変わって初めて

この世の景色を

自分の網膜で捕らえたその時

俺は懐かしくて

嬉しくて

気付けば涙を流していた


「おかえり・・・」


手塚はそう言って

優しく頬を撫でてくれた

嬉しくて

気持ちはちっとも言葉になろうとしなくて

涙は止まらなくて

ぐちゃぐちゃになった俺を

手塚は力一杯

抱きしめてくれた


「・・・・た、だい・・・ま・・・っ」


そう言えるまでに

どれくらいかかったんだろう

俺達は繋がってた

一目でわかったんだ

この人だって

この人が

俺の全てを変える人

運命さえも

変えてしまう人


「英二・・・」


君の一声で

俺の名前は決まる

英二

英二

そっか

俺は英二なんだ

俺はとても安心して

そして目を閉じた

温かい温もり

自分だけの 居場所





そして俺は生まれた

手塚の傍に居る為に

手塚の全てを受け入れて

手塚の全てを愛する為に

君の為だけに

俺は存在を許されたんだ





それからの日々は幸せだった

毎日俺は手塚と一緒に

隣街との境にある

小さな川の橋の上で

紙芝居や唄を謡ったりして

お金を稼いでいた

毎日やってきては同じ唄をせがむ小さな男の子

通りすがりの淋しそうな男の人

微笑みの絶えない恋人達

手塚の作った物語は

何処か悲しげなものばかりだったけど

終わったときには皆盛大な拍手をくれたし

俺もその瞬間見せる

手塚の誇らしげな笑顔が

とても好きだった

大好きだった

ずっと

ずっと続くと思ってた

そんな平穏で幸せな日々が

ずっとこれからも続いていくんだって

思ってた


なのに











「君が・・・手塚国光?」


ある日突然

日常は崩れ始めた


「悪いけど、君には死んで貰うよ。」


最初から何処か欠けていたのかもしれない

バランスを崩した塔は

足元から

崩れ落ちて


「この物語を、終わらせて貰う。」











「手塚・・・」

「眠れないのか・・・?」

「うん・・・」


あの日から

俺は夜 怖くて眠れない

よく逃げ延びたなと

自分でも感心する

それと同時に

眠ってる間に

手塚が消えてしまうんじゃないかって

心配で心配で堪らなくなる

あの日

いつものように橋の上に居た俺達の元に

奇妙な黒ずくめの男がやってきて

俺達に

冷たい銃口を向けたんだ


「僕は全ての物語を終わらせる殺し屋です。」


そう 彼は名乗った

それからのことは

あまり覚えていない

兎に角走って

走って

倒れるまで走って

漸く辿り着いた海辺のこの街で

俺達は隠れるように暮らし始めた

けれど

此処だって何時彼等に見つかるかわからない

多分

そう遠くないうちに

彼は俺達の居場所を突き止めるだろう

そして

その時

俺達は決めなきゃいけない

この物語の

結末を


「それより・・・手塚は大丈夫?」

「何がだ?」


手塚は少し驚いた顔をして

それを誤魔化すように

くしゃくしゃと俺の頭を撫でた

鼻の奥がツンとして

涙が出そうになったけれど

俺は必死に堪えて

笑顔を作って見せた











手塚は隠しているけど

俺はちゃんと知ってる

手塚の命が

もう 長くはないんだってこと











俺は歳を取らない

だって人形だから

けれど手塚は歳を取っていく

確実に

一日一日時を重ねて

年老いていく

手塚がおじさんになって

おじいさんになって

やがて生を全うした時に

二人一緒に

安らかに死んでいく

例え生まれ変わっても

それは同じこと

永遠に二人は結ばれるんだって

そう思ってたんだ

それが 当たり前だと思ってた

手塚の異変に気付いたのは

もう随分前のことだった

手塚のことならなんだってわかる

俺は何時でも

手塚を見てるんだから

だから 直ぐにわかった

手塚は病気なんだって

それも

簡単に治ったりしない

重い重い病気なんだって


「手塚・・・」

「どうした?」

「・・・ううん、お休みなさい。」

「嗚呼、お休み。」


これ以上手塚に負担はかけられない

少し疲れたような表情を浮かべる手塚に

俺の胸は

きつく痛んだ



























不思議な夢を見た

画面は白っぽくて

ぼやけていて

最初は何かよくわからなかったのだけれど

目が慣れてくると

俺は自分が

何処までも続くような雪原の中に

一人立っていることに気付いた

此処は

何処だろう

冬だ

今は冬なのだ

早く帰らないと叱られてしまう

早く帰って

あの出し物の練習をしないと

けれど 何処へ?

俺は朦朧とした意識の中で

坦々と歩を進めた

やがて俺は視界の隅の方で

古ぼけた朱いテントを捉えた

それは

サーカスのテント

俺はふらふらとその中に入って行く

薄暗いテントの中

舞台上で

誰かが椅子に腰掛けていた

こちらに背を向けているので

顔は全く見えない

唯俺はその人よりも

その人の向かいに居る

儚げで美しい女性に

目を奪われていた


―あの人・・・人形だ・・・―


それはとても精巧に作られた人形だった

艶やかな腰まで伸びる長い黒髪

伏せられた瞳は

深い琥珀の色

白い肌は先程まで俺が歩いていた

果てない雪原を思わせる程透き通り

その全てが輝いて見えた

ふと 彼女は俺の視線に気付いたのか

こちらに向かい微笑んで

軽く会釈をした

そして椅子に座っていたその人も

俺の存在に気付いたのか

振り返りざまに俺に向かって

歓迎の意を表した


「おかえり・・・英二」


おかえり

おかえり英二

その声で全てが甦る

走馬灯のように駆け巡る記憶

そうか

どうして忘れてたんだろう

こんな大切な記憶を

俺と 君の

大切な時間を

俺は柔和な微笑みを浮かべて

君の傍まで寄ると

その広くて温かい胸に

そっと頬を寄せた


「ただいま・・・手塚」



























俺の中に俺が帰って来た



























目覚めた時

俺は全てを取り戻していた

前世の記憶

君と生きて

愛し合った日々

どうして忘れていたのだろう

あんなに満ち足りた日々を

一度死んだ俺は

その時大切な何かを失った

きっとあの雪原の中に

全てを封じ込めてきたのだ


「手塚・・・」


あの頃俺はサーカスの看板役者で

手塚は綺麗な人形を操る

一座でたった一人の傀儡子だった

俺の出番はショーの最後にある

『薔薇の雨』という演目

天井に吊るされた箱に入った俺が

何時の間にか消えて

箱を開けた時には

客席に薔薇の花弁が雨のように降り注ぐという

演出的にもかなり凝った

一番人気の演目だった

もちろん実際は箱に仕掛けがあって

隙を見計らって俺がその箱から抜け出すだけの

簡単なトリックなんだけど

元々その箱は人間が入れる程のスペースもない

小さな箱で

柔軟性のある俺が

如何に体を縮めて中に入れるかってところが

一番の見所だったんだ

親に捨てられて小さな時から此処で修行を積んでた俺は

この演目で一躍有名になったんだけど

段々成長して体が大きくなってくると

前は楽々入れた箱も

流石にきつくなってきて

夜中に毎日一人で練習してたんだ

その時既にこの演目はショーの目玉になっていたから

箱のサイズを変えてくれなんて

到底言えなかった

毎日毎日遅くまで練習して

何とか無理なく入れるコツを掴んだ頃

自分と同じように

毎日遅くまで起きてる人が居るってことに気付いたんだ

それが 手塚だった

手塚の演目は操り人形を

まるで生きているかのように操るというもの

指先の些細な動きが

人形の表情をガラリと変えるのだ

驚いた

手塚は練習なんてしなくても何だって出来る

天才タイプの人間なんだと思ってたから

それと同時に

親近感も沸いた

友達になりたいって

そう思ったんだ

手塚の部屋に忍び込んだり

一緒に朝まで練習したり

他愛も無い話で笑いあったり

俺達が友達になって

そして

恋人になるまで

そんなに時間はかからなかった











手塚は自分の人形を

それはそれは大事にしていた

俺達がどれだけ仲良くなっても

愛し合っても

手塚のその人形だけは

指一本触れさせてくれなかった

俺はいつのまにかその人形に嫉妬してたんだ

恨んでた

憎んでた

手塚の全てを独り占めにしてる気がして

俺は凄く悔しかったんだ

愛よりも深い絆で結ばれてる二人

破っても切り裂いても

解けない鉄の鎖

気が狂ってしまいそうだった

本当にそれは

一種の抗い難い衝動のようなものだったんだ

気付けば俺は

手塚が命ほどに大事にしてたその人形を

その人形の糸を

鋏で断ち切ってしまっていた

糸を失くした操り人形は

くたりとその両手を垂れて

だらしなく壁に凭れ掛かっていた

急遽中止になった手塚の演目のせいで

俺の出番は

何時もよりも早く来た

それは運命の悪戯か

それとも因果応報か

俺は何時ものように舞台に出ると

深々とお辞儀をして

器用に箱の中に入っていった

パタンと蓋の閉じる音がする

気分は最高に良かった

それこそ 謡いだしそうな程

でも

舞台に出る前の

手塚の蒼褪めた表情と

震える肩とを思い出し

俺は少しだけ

良心が痛んだ

そしてその気持ちを掻き消す為に

俺は演目に集中することにした

俺は箱の留め金を外し

何時ものように外に出ようとする

ところが


「え・・・っ」


急いで用意をしたせいか

箱が開かないのだ

仕掛けがちゃんと出来ていなかったのかもしれない

俺は焦って箱の側面を何度も叩いたけど

外からは何も反応がない

拙い

この侭では出られない侭に

箱の下が開けられてしまう

するとその時

焦る俺の耳に

確かに聞こえてきたんだ

手塚が何時も演目の時

人形に謡わせているあの唄が

確かあれも

切ない恋の唄だったような気がする

歌詞はもう

朧げにしか覚えてないけれど

そしてピタリとその声が止んだ瞬間に

俺の体は空中に投げ出された

嗚呼

これは

報いなのだろうか

そんなことを

ぼんやりと考える

不自然に曲がった侭

俺の体は

地面に叩きつけられた

舞台上に散ったのは

薔薇の花弁ではなく

真っ赤に咲いた華のような

緋色の鮮血



























「英二・・・」


突然発せられた声に

俺は思わず驚き振り返った


「驚かせたか・・・すまない」


何だか心なしか

顔色が悪いような気がする


「手塚、もう少し寝てた方がいいんじゃない・・・?」

「嗚呼、そうだな・・・少し・・・体がだるい・・・」


そう呟くと

手塚は再び目を閉じた

俺はそんな手塚に向かい

柔らかく微笑む


「おやすみなさい」


安らかな寝顔

頬を伝う冷たい感触に

俺は自分が泣いているのだと気付いた

全てを思い出して

幸せだった筈なのに

どうして俺は泣いているのだろう

そしてその涙は

止め処無く溢れて

俺の枕を濡らした

俺は手塚とあの人形の絆を断ち切ったのだ

愛よりも深い

その絆を

手塚が負う痛みも

悲しみも

何もわからないで


「ごめんね・・・」


唯 自分の為に


「ごめんね・・・手塚・・・っ」


君を傷つけた



























もう 傍には居られない

そう

思った



























逃げ出したのとはちょっと違う

けれど

あの後俺は

あの部屋を飛び出した

当て所も無く歩き

辿り着いたのは

翠色の風が舞う

この前の朝に二人歩いた

あの浜辺だった

こんなところでは直ぐにみつかってしまう

結局俺は逃げる気など無いのだ

離れる気など

或る筈も無いのだ

俺は乾いた笑い声を立てながら

気が狂ったかのように

泣いた

座り込み

目を閉じる

潮風は何時だって優しい

何時だって 穏やかだ


「やっと見つけたよ・・・」


聞き覚えのある声に

背筋が凍りついた

この声は

あの時の・・・


「英二・・・君は手塚のお人形、だよね?」


振り返っちゃいけない

そう思っているのに

体がいうことを利かない

見上げたその視線の先にいたのは

あの日俺達に笑顔で銃口を向けた

あの黒ずくめの男だった


「話をしよう、英二。」

「話・・・・?」

「そう。そうじゃないと、この世界は壊れていく一方だよ。」

「壊れて、いく・・・」
「そうだよ、英二。この世界はもう、崩壊し始めてる。物語の主人公が、

 いなくなろうとしているんだから。」


男は俺の正面に回ると

しゃがみ込んで

俺と目線を合わせた


「この世界を作った人物が、創造をやめようとしている。主人公のいない物語は・・・

 どうなるか、わかるよね?」



























「この物語は手塚が作ったんだよ。」


そう

この物語は

手塚のもの


「その手塚が・・・死のうとしてる。」


崩壊はもう

止められない


「いや、正確に言うと殺されようとしている・・・かな。現実世界の手塚の手によってね。」


其処で一瞬

俺は反らしていた目を

彼の方に向けた


「現実、世界・・・?」

「あれ、知らなかったの?此処は空想と夢の街でしょ?」


話がよくわからない

俺はズキズキと頭の芯が痛み出すのを感じた

やめて

やめて お願い

その先は

言わないで


「此処はその名の通り空想の世界だよ。現実に疲れた手塚の作った、物語のね。

 この街は存在しない街。手塚の頭の中にしかね。」



























白い壁

白いベッド

白い 窓枠

此処は何処だろう

此処は何処なんだろう

薬品の匂いが鼻の奥を擽る

病院?

違う 此処は病院じゃない

病院の窓に鉄格子なんて嵌っていない

じゃあ

此処は一体何処なんだろう

酷く閉鎖的で

酷く 無機質な部屋

何もない

何もないんだ



突然そんな言葉が脳裏で揺らめく



此処は檻だ

しかし 何を閉じ込めておく為の?

その時

部屋の奥の方から

呻き声が聞こえた

ベッドのところに

誰かが寝ているのだ

呻き声に聞こえたのは

彼の囁きだったらしい

彼は俺に気付いていない

ずっと独りで

何かを囁き続けている

彼には

この世界が見えていない

目が見えないとか そういう意味じゃなくて

何も

見ようとしていない

病んでいる

何処か胸の深いところを病んでしまっている


「あの人・・・もう駄目ね。」


突然背後から声がした

振り返ると

其処に居たのは白衣姿の二人の女性


「ずっとあの調子なんだもの。」

「酷い妄想壁ね。」

「それより、あの人が何したか知ってる?」

「確か恋人を自分の手で殺したんじゃなかった?」

「そうよ。その上あの人、死んだ恋人の遺体に向かってずっと話しかけてたらしいわよ。

 あんな調子でね。」

「やだ。気味が悪い。」

「恋人が生き返ったと、信じ込んでいるのよ。自分の空想の世界の中でね。」

「狂ってるのね。」

「そうよ、狂ってるのよ。」


狂ってる

狂ってる

この人は

狂ってる

激しい頭痛に

俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ

痛い

痛い

お願い・・・消さないで・・・


「おかえり・・・英二・・・」


顔を上げると

ベッドの上の彼が

こちらを振り返り

微笑んでいた

違うよ 手塚

此処は俺の還る場所じゃない

知っちゃいけなかったんだ

この場所だけは

開けてはならない

パンドラの箱



























誰が箱に仕掛けをしたの?

誰が

俺を殺したの?

あのお人形?

ううん

違う

きっとそれは・・・



























「手塚・・・・」


俺は唯 君の名を呼んだ

吹き付ける潮風と

磯の香り

しかし 其処に海と呼べるものは

もう既になかった


―物語の世界が、崩壊し始めている・・・―


彼の言った通りだった

この世界は崩れ始めている

そしてもう

それは誰にも止められない

俺はすっかり干上がって

砂漠のようになったあの海を呆然と眺めながら



君の名を呼んだ

何処までも広がる砂の果て

水平線が黒く澱んでいる

あそこから徐々に広がってくるのだ

まるで消しゴムで間違いを消すかのように

間違いだらけのこの世界が

すっぽりと消されていく


「英二・・・」


まるで俺の想いが彼を吸い寄せたかのように

気付けば手塚は其処に居た

重たい足取りで

こちらまで歩いて来ようとする

しかし

よろめいた手塚はその侭其処に座り込んでしまった

喉を手で押さえ

激しく続けざまに咽る

砂の上に君の血が散った

まるで紅い

深紅の薔薇の花弁のように


「手塚・・・っ」


俺は手塚に駆け寄ると

後ろから抱えるようにして

強く君を抱きしめた


「もう・・・時間がないんだね・・・」


涙が頬を伝う

俺が強かったならよかったのに

この世界と

手塚を守れるだけの強さが

俺に

あればよかったのに・・・


「俺に、出来ることは無い・・・?」


もう 何も無い

俺は弱かったんだ

前世でも

そして 現世でも

俺は守られることしか考えてなかった

一番脆かったのは

他でもない君だったのに


「何も無いよ。」


その問いに答えたのは

手塚では無かった

振り返ると彼が其処に立っている

終幕のベルが

俺の頭の中で

鳴り響いていた


「さぁ、始めようか。この物語の最終幕を・・・」


俺は手塚の手を強く握った

例えこの世界が無くなってしまっても

この手だけは

絶対に離さないよ

今度こそ

大切なものは

俺が守ってみせるから



























手塚がいつか俺に話してくれた物語は

きっと

俺達の物語だったんだね

あの物語の続き

きっと手塚が何度俺の名を呼んでも

声が掠れるまで

叫び続けても

俺が再び目覚めることはなかったんだ

それでも手塚は

今まで

俺が生き返るって

もう一度

二人一緒に居られるんだって

そう 信じてたんだね

ありがとう

そうじゃなきゃ俺

今頃此処に居られなかった



























「君達が終末を決められないなら、僕が終わらせてあげるよ。」


再びあの日のように

彼は俺達に銃口を向ける


「ねぇ、気付いてるんでしょ?手塚・・・」


手塚はその問いに少しだけ視線を泳がせた


「何の話だ?」

「惚けないでよ。白々しい。」

「何の話だと聞いている。」

「突然僕みたいな不自然な登場人物を物語に送り込んだりしてさ・・・

 君だって気付き始めてるんでしょ?自分の犯した罪に・・・」

「罪・・・」

「それって・・・」


言いかけてはっと口を噤む

それに気付いた手塚は目を見開き

蒼褪めた表情で

唇を振るわせた


「英二・・・まさか・・・」

「そのまさかだよ。」


彼は手塚に追い討ちをかけるかのように

こう言い放った


「英二はもう知ってるよ。君が英二にしたことも全部。君もそれを望んでたんでしょ?」


その言葉と同時に

轟音を立てながら地面が揺れ始めた

立っていられず

思わずその場に崩れ落ちる

手塚は呻き声を上げながら

頭を抱えてのたうち回っている

壊れてしまった

完全に

精神的ダメージが大き過ぎたのだ

この世界は

あとものの数分もしないうちに

崩れる


「手塚っ・・・・!!!」


俺は必死で手塚に駆け寄ると

手塚を庇うようにして

力一杯抱きしめた


「手塚・・・手塚・・・・っ」


もう御仕舞いだ

俺にはもう

どうすることも出来ない


「もう・・・傍に居られないんだね」


この街は

この世界は

手塚が作ったのに


「あの橋も」


二人で過ごした楽しかった時間


「この・・・海も」


抱きしめて貰った時の

温かい

温もり


「全部全部・・・消えちゃうんだ・・・」


消さないで

俺を

この世界を

楽しかった日々を


「消さないで・・・・っ」


手塚は震えていた

泣いてるのかもしれない

そう

俺は思った


「帰ろう・・・」


帰ろう

あの街に

俺と君が始めて出逢った

あの 小さな小屋に


「帰ろうよ・・・手塚・・・」


どうしてもそれが叶わないなら

俺は・・・


「英二、まだそんなことを言ってるの?これは手塚の為でもあるんだよ。」


彼が俺を手塚から引き剥がそうとする

俺は必死に抵抗しながら

彼の方を睨み付けた


「全部お前のせいだ!!!全部、全部っ!!!この世界が壊れていくのも、手塚をこんなにしたのも、

 全部全部お前のせいじゃないかっ・・・!!」

「違うよ英二。手塚は今、この世界から抜け出そうとしてる。

 この世界を壊して、現実と向き直ろうとしてるんだ・・・!!」


手塚が

現実と向き合う

そうか

手塚は立ち直ろうとしているんだ

こんなに大切にしてきた

物語の世界を壊してまで

此処で俺が引き止めたら

二度と手塚は

此処から抜け出せなくなってしまう


「英二・・・君が手塚に出来ることは、唯一つ。微笑んで、さよならを言うことだよ。」


さよなら

信じたくなかったその言葉が

胸の奥を切り裂く

もう 二度と逢えない


「手塚・・・」


忘れないよ

君と過ごした 大切な時間を

例えもう

傍に俺がいなくても


「壊して・・・いいよ?」


君の未来は

続いて行くんだから


「俺は・・・手塚が作ったんだから・・・」


その瞬間

水盆の底がぬけたかのように

放射状に世界が沈み始めた

体の力が抜けていくのがわかる

ぐったりとして動かない手塚を

両腕で支えながら

俺はぽっかりと開いた闇の中に

吸い込まれるようにして消えていった


「愛してるよ・・・手塚・・・」


囁いた声が

どうか君に届きますように



























男は其処で目が覚めました

薄暗い部屋も

動かない人形も

何もかもがその侭で

男は思わず首を傾げました

なんて不思議な夢を見ていたのだろうと

そして

彼はいつものように仕度をして

部屋を出て行きました

大好きな恋人と

あの街外れの橋の上で

今日も自分の作った物語を

人々に聞いて貰う為に

彼が上機嫌で部屋を出て行った後

人形は独り微笑んで

こう呟きました


「お帰り・・・手塚・・・」



























ねぇ 手塚

この物語は

手塚が作ったんだよ

終わりない

果てなく続く物語

其処で俺達は出逢って

恋をして

例え俺が消えてしまっても

手塚の物語は

続いていくんだね

この世界は御伽噺で出来てる

一人一人の物語で・・・









終。