『英二』という名を知らされた後、

菊丸に嘘を吐かれたのかもしれない、と考え込んでしまった国光は

夜も眠れず、かといって仕事も捗らず、悶々と時間を過ごしていました。

そんな国光に気付いた不二が、深夜にも関わらず明かりの灯る部屋に訪れ、


「そんなに気になるなら、確認してくればいいじゃない。」


そう、告げたのです。

それに従い、夜中にも関わらず国光は家を出ました。

どうやって山を下りたのか、どの道を通って帰ったのか、

国光は覚えていません。

辿り着いた家の前、不二がにこやかに国光を迎えました。


「どうだった?」


不二の問いに、国光は何も答えず、何の反応もしません。

けれど、不二にはそれで十分でした。


「そう。」


何処か嬉しそうに、穏やかに頷いた不二は、

ふとずらした視線の先、国光の手を見て驚きに目を見開きます。


「ちょ、ちょっと手塚!手!!怪我してるじゃない!!」


グイ、とその手を取り、問いつめるように国光を見上げる不二に、

そこでやっと、国光は「あぁ。」と小さく反応を示しました。

だらり、と力無くただそこにある手の甲は傷付き、血液が流れ出しています。


「あぁ。じゃないよ!英二!?英二にやられたの!?」


今にも数珠を取り出し、山へ向かおうとする不二の腕を、

国光は強く握りました。


「違う、不二。俺が、自分で木を殴っただけだ。」


不二の腕を掴む力は強いものの、淡々と、ただ事実を述べる国光を不二は呆然と見上げます。

それから大きくため息を吐き、動きを止めました。


「…そう、わかった。手当てをするから、大石の所へ行こう。」

「あぁ。」


頷き、さっさと屋敷の中に入る国光を見ながら、

不二は己の手をぎゅ、と強く握りしめます。

取った国光の腕は、小さな震えを訴えていました。





何処までも歪んだ笑みと、濁った金。

『喰ってやるよ。』そう告げる声。

笑っていた筈の菊丸の顔すら、何処までも『狩るモノ』のそれで。

菊丸と対峙していた時、国光は言葉を紡ぎながらも

恐怖から来る奥底からの震えを堪える事で精一杯でした。




























こぼれ落ちた滴を目で追い、落ちそうになる滴を拭って菊丸は顔を上げました。


「嘘吐きー。」

「リョ…!!!」


突然背後から響いた声に驚いて菊丸が振り返ると、

意地の悪い笑みを浮かべたリョーガが木の上に立っていました。


「相変わらず嘘吐くの下手だな、お前。」


軽やかに木の上から飛び降りたリョーガは、菊丸の前に立ってその頭をぐわしぐわしと撫でます。


「チビスケ、頑張ってっから。」

「…うん。」


撫でていた手を止め、リョーガはにんまりと笑いました。

それに無理矢理ニマーと笑い返し、菊丸は己の両頬を一度強く叩きます。


「行こう、リョーガ。

 おチビが、待ってる。」


真っ直ぐに前を向いてそう言った菊丸の頭を軽く叩き、

リョーガは降りた時と同じように軽やかに木の上に飛び上がりました。

菊丸も、その後に続きます。


「今…どんくらい?」

「あー…半分以上行ってんじゃねぇの?」


殆ど棄権だけどな。

そう言いながら、リョーガは笑いました。


「そっか…でも、お前はやるんだろ?」

「当然だろ?親父だっているし。ちょっとでもチビスケの体力減らさねぇと。」


そう言うリョーガを見ながら、菊丸は一度頷きます。


「掟、だもんな。」





妖の掟の変更は、提示された99の鬼。

そして、掟を定めた長に勝る事。





変更を望むモノが長になる他に、掟の変更は許されません。

退けられた長の先は…言わずとも、知れています。


「なぁ。」


かけられた声に、足を止めずに菊丸はリョーガを振り返ります。


「お前は、どうするんだよ。」


その問いに菊丸は、鈍く笑みを浮かべただけでした。

リョーガはわずかに目を見張ると、皮肉気に笑みを浮かべて見せます。


「無粋な真似なんか、するつもりはねーってか。」


頷きも首を振りもせず、菊丸はただ前を見つめていました。


「チビスケ、どー思っかな…。」


そうこうしている内に、だんだんと熱気が近付いてきました。

一種独特な空気が辺りを包み、ぽっかりと開いた木々の間から射し込む月の光が、

その雰囲気をより独特なものへと仕上げています。

高い木の枝から飛び降りた菊丸は、目の前に立つ越前に笑んで見せました。


「たっだいま、おチビ。」


菊丸の言葉に越前は答えず、ニヤリ、と口の端をあげます。

その口元は、息切れひとつ、起こしていませんでした。


「よぉ。帰ってきたか、リョーガ。」

「おー。どーなってる?今。」

「どーもこーもねーよ。腰抜けばっかで、見てても面白くもなんともねーって。」


ひょい、と肩をすくめて言う南次郎に、リョーガは面白そうに笑います。


「予想通り、だろ?親父。」

「まぁな。お前や俺とやる前にへばられちゃ、つまんねぇしよ。」


楽しげに会話をする二人から少し離れた場所で、

菊丸は越前を労うように肩を叩きました。


「今どれだけ?」

「93ですよ。」

「…!! もう!?」

「ッス。なんか、殆ど棄権ばっかで。」


張り合いなくて楽しくないッス。

不貞腐れたように言う越前の頭を、菊丸はぺちんと一発叩きます。

恨みがましく菊丸を見上げた越前に、菊丸はあきれたような顔をして見せました。


「リョーガも長もいるんだからな。」

「わかってますよ。」


片足を軽く曲げて立っている越前は、肩をすくめてため息をつきます。

あと7の内、2が南次郎とリョーガです。

越前は大きく伸びをすると、菊丸を振り返りました。


「それで、先輩。あの人は?」

「手塚?うん…何でもない。ちょっと、質問されただけ。」

「質問?」

「おーい、馬鹿息子!のんきに話してねぇで、さっさと次、行くぜー?」


越前が聞き返そうとしたところで、南次郎から大きな声がかかり、

越前は少し暗い菊丸の表情に疑問を残したまま、次の相手へと向き直ります。

向き直って早々、相手は南次郎に棄権を伝えました。

94。

あと、6。









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以下、こういう話になる予定でした的なダイジェスト。





























菊丸と協力し、なんとかリョーガと長である南次郎に勝った越前は、

掟の改変を宣言し、桜乃を迎えに行きます。

菊丸と越前、桜乃は脱出する途中で不二に捕まってしまいますが、

自分の勝利を確信した不二が縛る為に「英二」と、菊丸の『名』を呼んだ瞬間、

動けないはずの菊丸がとっさに越前と桜乃を逃がしました。

菊丸の本当の名前は、英二ではなかったのです。

自分たちの家で二人で暮らせと告げる菊丸に、

困惑しながらも二人は山の方へと逃げていきました。

二人を逃がす際に一歩遅れてしまった菊丸は、

再び大石によって捕えられ、不二と国光の前へ連れて行かれます。

難しい顔をした不二と、眉間に深く皺を刻む国光。


「…きく、まる?」


小さく呼んだ国光に、菊丸は困ったような、嬉しそうな笑みを浮かべました。




それこそが、菊丸の本当の名前でした。




「手塚になら、知られてもいいって思った。

 手塚には、知ってて欲しいって、思った。」


誤解が解け、嘘の裏の本当を知った国光は、菊丸を助けると不二と大石に告げます。

主に言われては仕方が無いと諦めた不二と大石は、警戒を解きました。

行く宛がない菊丸に、国光はこの家に来い、と誘います。

拒否しようとした菊丸の耳に、

騒ぎを聞きつけた手塚家、竜崎家の人たちが近づいてくる足音が聞こえました。

あわてて逃げようとした菊丸の手をつかんだのは、不二です。

そして、「菊丸」とその本当の名前を呼んで、彼を逃げられなくしました。

バタバタと国光の部屋に駆け込んでくる人たち。

そこにいる妖の姿に恐れ戦き、桜乃がいない事に気付くと途端に殺気立ちました。


「よくやったね、英二。」


不二がはっきりと言います。

驚いたのは、その場にいた皆でした。

全員に聞こえるように、不二は淡々と言います。



清楽山の妖の長の花嫁として彼女は連れ去られた。

阻止すれば、山が崩れ、この町一帯全てが埋まってしまうだろう。

それを憂い、桜乃は止める暇もなく自ら妖について行った。

国光は婚約者だった事を恨まれ、殺されそうだったところを、

不二の眷属である『英二』に助けられた。



その説明に、竜崎家の人々は泣き崩れました。

あまりに大きな祟りに、娘の優しさに、その喪失に。

死ぬわけではないけれど、それは彼等には何の慰めにもなりません。


菊丸は手塚家の人々から、控えめに感謝を告げられました。

菊丸が不二を見ると、彼は素知らぬ顔で大石と話をしています。

実際はどうであれ、不二の眷属という事は、

国光と共にいても何らおかしくない、最善の肩書きでした。





「君の名を不用意に言う気はないよ。

 まあ、手塚に害を成すなら別だけどね。」


後日、不二はそう言って特に眷属にする様子もなく、

国光の側にいる英二を黙認しています。

竜崎家の人々は彼女の行いに感謝を捧げ、小さな社を建てました。

菊丸はこっそり越前に会いに行き、菊丸が生きていた事に

涙を流して安堵した越前を祝福する事ができました。

桜乃は大変ながら、越前とカル、二人と一匹で幸せそうに暮らしています。

英二は国光を守った功績を認められ、彼の対妖用の側近となりました。









一方、ボロボロになって山を追われたリョーガと南次郎は、

山の麓に隠れるように建てられた、小さな小さな家に入りました。


「あーあ、負けちまった。」


乱暴に扉を開け、ごろんと床に寝転がる南次郎に、

家の中にいたその『人』は、あら、と笑います。


「嬉しそうよ。

 そのつもりだったんでしょう?アナタ。」

「そーそ。ったく素直じゃねーな、親父!」


楽しそうに笑みを交わす二人の姿から、

ゆっくり、深く息を吐いて、南次郎は顔をそらしました。


「倫子。」


顔をそらしたまま、南次郎はその名前を呼びます。

そのまま何も言わず、沈黙がその場に落ちました。


「お疲れ様、南次郎。」


労るように触れられた指先をそっと握り返して、南次郎はゆっくりと瞳を閉じます。

その光景を、リョーガは嬉しそうに眺めていました。











むかしむかし…妖と人間が混在していた頃のお話です。

とある島国の中の小さな国。

その中心にある、領主の大きなお屋敷の中。

そのお屋敷から一刻ほど馬を走らせた先にある、深く広い山の中。

その深く広い山の麓、隠されるように建てられた小さな小さな家の中。


人間と妖が、

とても

とても

とても

幸せに暮らしていましたとさ。





終わり。







※となる予定でした!完結できずにごめんなさい。
 そしてなにげに塚菊くっついてないよ!