妖の掟。

それは、長の決めた掟を守る事。

現在の長…南次郎が決めた掟の一つに、


『人間を山に住まわせてはならない。』


それがありました。


「アンタの所為で、母さんだってここにいられない。」

「しゃーねーだろ。決めたのが昔だとはいえ、俺の一存で破るわけにはいかねぇんだよ。

 住まわせない方が良いのは事実だしな。」

「最低だね。」


吐き気がするよ、と、心底嫌なものを見るように越前は南次郎を見ます。

そんな越前の頭を、横にいた菊丸がペチリと叩きました。


「おチビ、勝手な事言うな。」

「…ッス。」


菊丸には、越前の言い分も南次郎の言い分もわかっています。

人間だとしても、唯一と決めたなら共にありたいと思う越前と、

例えそうだとしても、以前自らが決めた掟がある以上破る事が出来ない南次郎。

一度決めた掟は、例え決めた長本人であっても変える事は許されていません。

掟を破ったモノには、追放か、死を。

妖の掟は、それほどまでに厳しいものでした。

そして…

南次郎の言う通り、山に人間を住まわせる事は危険なのです。

妖が唯一と決めても、人間にはそうでない場合もあり、

騙され、殺され、山を荒らされる恐れもあります。

長は長として、そう簡単に人間を入れるわけにはいかないのです。

人間にとっても、山での暮らしは苦でしかないでしょう。

長の決めた掟を変える為の手段は、一つ。


「ごちゃごちゃ言ってねぇで、始めっぞー。

 ほい、1番手。」


ポン、と背を押され、茂みの中から越前よりも少し小さな鬼が出てきました。


「カチロー?」

「リョーマ君…。」


困ったように越前を見上げる鬼は、一歩踏み出した場所から動く気配がありません。


「どうしたの?来ないわけ?」


ふぅ、と小さくため息を吐く越前にも、特に戦意は感じられませんでした。


「あの、長、その、僕…。」

「なんだ、棄権か?だらしねぇなぁ!」


そう言いつつも楽しそうに笑いながら、

南次郎はカチローと呼ばれた小さな鬼を後ろに下げます。

その時でした。

鬼たちにギリギリ聞こえるかどうか。

それ位に小さな音が、そこにいた皆の耳に届きます。


「手塚…!?」


音に一番早く反応したのは、菊丸でした。

何故こんな時間に、と、途端に狼狽し始めた菊丸の様子を見て、

南次郎は意地悪く笑います。


「どーしたよ。」

「あ、え、いえ…なんでも、ありません…。」


駆け出したいのを必死で抑えている様子の菊丸に、

横にいた越前がトン、と背を叩きました。


「先輩、良いよ。」


越前に視線を向け、菊丸は首を左右に振ります。


「良くない。今がどれだけ大事か、わかってる。」


グ、と感情を抑えた瞳で真っ直ぐに前を見た菊丸に、

越前はニヤリと笑って見せました。


「先輩に協力してもらうの、まだまだ先だから。」


それまでは、一人で十分。


「おうおう、自信満々だねぇ、少年。

 だとよ。どうする?」


ニィ、と笑う南次郎に、暫く越前と南次郎、そして後ろに立っているリョーガの顔を見、

少し顔を歪めると、ペコ、と大きな音がしそうな勢いで頭を下げ、

菊丸はタン、と軽く飛び上がり、その場を後にしました。


「手塚ってアレだろ?お前が手を出すなって言ってた人間。」


眼鏡かけた、やたら老け顔の…と、ニヤニヤと笑いながら言うリョーガに、

越前は一度頷きます。

人間、と聞いた途端、飯だ。と、ざわついた場に、

南次郎は一度ス、と腕を上げました。

長の権力は絶対で、瞬間的に場が静まります。


「んじゃ、続きすんぜ?馬鹿息子。」

「いつでもどーぞ。」


ニィ、と笑う越前と南次郎の顔は、誰しもに血の伝わりを感じさせました。




























「手塚!!!」


己の名を呼ぶ声に、国光は頭上を見上げました。

それと同時に、菊丸が木の上から飛び降りてきます。


「お前っ…何してんだよ!!今、何時だと…!!!」

「お前に、聞きたい事があるんだ。」


怒鳴り、咎めようとした菊丸の言葉を遮り、

国光は低く、感情を抑えたような声で言いました。


「お前は…名を、何という…?」


手塚の問うた言葉に首を傾げながら、

菊丸は、「菊丸だって。何だよ、今更。」と、笑います。

その言葉が言い終わらない内に、手塚は感情に任せて背後の木に

菊丸の身体を押しつけました。

ゴツ、と、鈍い音が辺りに響き渡ります。

ジンジン、と鈍い痛みを訴える背を余所に、

菊丸は呆然と国光を見上げました。

暗闇の中、月明かりに浮かぶ眼鏡越しの国光の瞳には、

深く強い、怒りが滲んでいます。

こんな風に目にする国光の負の感情は初めてで、

どうすればいいのか、菊丸の頭の中は真っ白になっていました。


「英二と、言うそうだな…!?」


掠れるような低い声で国光に言われ、

菊丸は真っ白な頭の中でやっと、あぁ、不二かな。と思い至ります。


「それが…どうしたの?」


自衛手段であって、責められる所以などない。

そんな意味合いを込め、鮮やかな金を濁らせて菊丸は笑いました。

噛み締めていた国光の奥歯が、ギリ、と音を立てます。


「今までの事も全て、嘘だったのか!!

 そうやって!!…俺や、人間を騙して、殺すのか…!!!」


見損なった、と。愕然とした、と。

強い、いっそ憎しみを込めて菊丸を見る国光の瞳に、

菊丸は顔を逸らしながら口の端を上げました。


「人間は、俺らにとって喰い物だから。

 頭使って騙して喰って、何が、悪い?」


ニヤリ、と厭らしい笑みを浮かべる菊丸に、

国光は菊丸の身体を押さえつける力を強くします。


「お前は、半分は人間だろう!!!」

「そんなの、関係ない。

 お前らが動物捕るのと一緒じゃん?姿形が似てるって、だけだろ。」

「菊丸…貴様…!!」

「喰うわけでもないのに殺して楽しんでる…人間の方がずっと、悪じゃん。」


スイ、と爪の鋭く尖った指先を国光の頬に伸ばし、

菊丸は真っ直ぐに国光を見つめながら笑いました。





「喰って欲しいなら…今すぐにでも、喰ってやるよ。」





衝動のまま、国光はその拳を菊丸の顔のすぐ横、

木の幹へ叩き付けます。

さほど長くない国光の爪が僅かにかすり、菊丸の右頬に小さな傷を作りました。


「お前は…嘘を吐いてまで、俺を殺したかったのか…!」


その小さな呟きには返事を返さず、菊丸は濁った金の目を細め、

国光をただ見つめています。

グ、と噛み締めた国光の奥歯が、いい加減悲鳴を上げていました。

そのまま無言で菊丸に背を向け、国光は菊丸の前から立ち去っていきました。


「…………。」


菊丸はそれを見送り、姿が見えなくなるとゆっくりと手を上げ、

僅かに血の滲む頬をそっと撫でます。


「すぐ…治っちゃうなぁ…。」


歪んでゆく視界から一粒、濁っていた滴がこぼれ落ちました。









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