その夜、陽が完全に沈み、辺りが闇に包まれた事を確認して清楽山を出、

越前は自らの嗅覚を頼りにひた走っていました。

似たような香が多い上に、確信はありません。

それでも、と、越前はひたすらに走っていました。


「!ッ…。」


山を出て、国光の住む町からは反対方向へ妖の足で、半刻。

馬を使っても、人間では一刻半程はかかります。

清楽山から遠く、平地の続く海に近い町。

越前は急ぐ足を緩め、香の強い方向へ歩きます。

最も香の強い、広い屋敷の前で立ち止まり、周りを囲う垣根の隙間から中を見ました。


「いた…!!」


こんな遠くから、どうやってあの清楽山まで通っていたのだろう。

そう考えながら、術者の気配を探る為、気を張ります。

気を張って探ると、この辺りには術者がいないらしいことが伺えました。

妖の多くは山に属している為、

海沿いのこの町では妖の対策が国光の住む町程必要ではないのでしょう。

ッ、と伸ばした爪を突き出して垣根に結界が張っていないのを確認すると、

越前は軽やかに垣根を越え、

簀子(すのこ)から月を望むように空を見上げていた桜乃の前のに降り立ちました。

組高欄(くみこうらん)の前に立った越前は、長い髪を揺らす桜乃を見上げます。


「三つ編みしてないの、初めて見た。」

「りょ…リョーマ、君…?」


驚いたように目を見開いた桜乃に、越前は少し呆れた視線を向けました。


「アンタがアンタなら家も家だね。結界も何も張ってないわけ?」

「あ、えと、この辺は、妖なんか滅多に来ないから…。」

「ま、助かったけど…強化しておくように言っておきなよ。」


ふう、とため息を吐いて、越前はキョロキョロと辺りを見回します。


「あいつは?」

「あいつ…?」

「アンタについてた、うるさい女。」


その言葉を聞いた桜乃は、そんな言い方しなくても、と少し困ったような表情で、

「朋ちゃんなら、自室に戻って貰ってるよ。」と、言いました。


「そ。あぁ、そういやアンタさ、どうやってあの山まで来てたわけ?」

「え?歩いて、だけど…。」

「ここから?俺の足でも半刻かかったよ?」

「うぅん、おばあちゃんの家が、あの山の麓にあるから…

 こっちには、昨日戻ってきたの。」

「…ふぅん。」


ここに来る途中に少し強い香が残った場があったのを思い出し、

越前はあそこか、と内心頷きます。

一人納得した様子の越前を見ながら、桜乃は困惑を顔に乗せました。


「あの、リョーマ君、何しにこんな所に…?」

「…アンタさ、俺のこと好きなんだよね?」

「え…あ…えと、うん。」


桜乃の問いに越前が問いで返すと、桜乃は顔を朱に染めながら頷きます。

それを確認して、越前は再度問いました。


「俺らの種族、コイツって決めたらそれしか選ばなくなる。

 アンタがもう嫌だって言っても。…重いよ?」


真っ直ぐな金の瞳で見る越前に、桜乃は驚きを隠しもせずにその瞳を見返しました。

これは、どういう意味だろう。

自惚れてしまいそうだ。と、桜乃は頬に熱が集まっていくのを感じます。


「リョーマ君…?」

「アンタを攫っても、良い?」


言葉としてはっきり示された感情に、桜乃はじんわりと目の奥が熱くなるのを感じました。

返事をしようと口を開いても、言葉にはなってくれなくて。

ただ、首を縦に振るだけで精一杯でした。

それを見てホッとしたように息を吐いた越前は、その瞳の光を強くして再度桜乃を見ます。


「山で暮らすよ。俺と妖以外…人間なんて、誰もいないよ。

 不便で、寂しいかもしれないよ。…良いの?」

「…うんっ…。」


やっと口から出た肯定の言葉がそれで、桜乃はもっと言い方があるのに、と内心思いつつも、

嬉しさが先立って、ただ、うん。と言うしかありませんでした。

ぐずぐずと泣いている桜乃の髪をポン、と一度撫で、越前は手を離します。


「だったら、俺の最良でアンタを迎えるよ。俺の最高でアンタを幸せにする。

 俺の最上でアンタを守る。…だから、もう少し待ってて。」


強い瞳で言い切った越前に、桜乃はもう一度頷くと、待ってる、と小さく言いました。

越前はふ、と笑みを見せて、それじゃ、帰るから。と、垣根の方へ歩いていきます。

垣根の前まで来ると、越前は帯に挟んでいた掌より少し大きい位の刃物で

垣根として植えられている木槿(むくげ)の枝を勢いよく切りつけました。

ガザ、バキ、と、大きな音が起き、暫くして見張り番や屋敷の者が何事だ、と駆けつけてきます。


「あ、妖…!!!」


集まってきた人間達に惜しげもなくその金の瞳を晒して、

ニヤリ、と越前はいっそ清々しい程に禍々しく笑って見せました。

異形を象徴する鮮やかな色に、妖には免疫があまりないらしい人間達は

ひ、と小さく口の中で悲鳴を上げます。

怯えながらもジリジリと越前を囲い、太刀を向けてきました。

そんな人間達を見渡した後、越前は表情を保ったまま簀子に未だいる…桜乃に視線を向けます。

驚きの所為で、桜乃は呆然と越前を見つめていました。


「次の満月の夜。

 この屋敷の姫を、貰い受けるよ。」


真っ直ぐに通る声で、桜乃から少し離れた簀子にいた桜乃の親らしき人間にも聞こえるよう、

越前は言い放ちます。


「逃げや身代わりなんて、考えない方が身の為だね。」


呆然と、動くことすら忘れた様子の人間に再度楽しげな笑みを向けて、

越前は必要以上に軽やかに飛び上がり、越前を囲っていた人間達を飛び越して姿を消しました。




























「先輩!」


ぐわら、と大きな音を立てて扉を開けた越前を、菊丸は驚いたように振り返りました。


「おチビ…!っお前、何処行ってたんだよ!!!!!俺がどれだけ心配…」

「そんな事は良いですから、支度してください。

 あのクソ親父のとこ行きます。」

「はぁ!?何だよ、突然。」


夜半と呼ぶか呼ぶまいか、というような時刻。

基本として夜型の多い妖のこと、迷惑と言うことはないけれど、

突然そんなことを言いだした越前に菊丸は驚きを隠せません。

菊丸の顔を見て、越前はふ、と笑みを向けました。


「欲しいものがあるんです。」









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簀 子=殿舎(屋敷の本体)の外側を巡る濡れ縁。現代で言う、縁側のようなもの。
    雨水が溜まらないよう、板と板の間には隙間があった模様です。
    現代のすのことは違いますよ。
組高欄=簀の子の外側を囲う、柵のようなモノとお考えいただければ。
木 槿=平安時代、垣根としてよく植えられていたらしい植物の名称。
この話でリョマが桜乃の香りを辿っていますが、
これは平安時代の貴族が、『香り袋』なるモノを身につけていた。という事よりです。
(『匂い袋』というものもありますが、それは衣服と一緒に入れて衣服に香を付ける物らしいです。)
色々調合の仕方で香が変わるらしいので、微妙なそれを辿ったって事にしておいて下さい。
妖のなせる技って事で。
あと、今更ながら、時間と時速で距離の計算をしてみましたが…お馬さんって速いよね★(痛)
まぁ、今みたいに道がしっかり出来ていたわけではないだろうしって事で、
妥協していただけると…。(汗)