国光と別れて、越前は山へ帰ろうと足を進めていました。

が、ふと、国光の家の方からなぜだか覚えのある香りがして、越前は足を止めます。


「…ここ、あの人の家だよね…?」


勿論、国光の家に結界が張ってある事をわかっている越前は、塀によっても中へ入ろうとは思いません。

先程ここを訪れた時には気付かなかったものの、この香は、明らかにあの『人間の女』の香。

塀に背を預けて耳を澄ますと、沢山の声の中に一つ、

聞いた事のある声を聞きました。


『桜乃ってば聞いてるー?』


聞いた事がある声が呼ぶ名は、やはりその名で。

越前は驚いて後ろが塀にもかかわらず思わず振り向いてしまいました。


『もーすっごく格好良かったんだってばぁ!手塚国光様かぁ…

 良いなぁ、桜乃!あんな人が旦那様で!!』

『朋ちゃんってば、もう…。』


困ったように答える声は、やはりその声で。

話の中に出てきたもう一つの名前に、越前は再度驚いて目を見開きました。

今、手塚国光って言った…?

呆然としてその場に立ちつくしている越前の耳に、聞いた事のないもう一つの声が届きました。


『桜乃姫様、小坂田様、夕食の準備が整いました。

 お婆様がお待ちですので、どうぞお越し下さいませ。』

『あ、はい。』

『さぁ、行きましょうか、姫様。』

『もう、朋ちゃんこんな時ばっかり…。』


聞こえてきた内容を必死で頭の中で整理している内に、三人は屋敷の奥へと去って行きます。

暫し呆然として、今この家には術者がいると国光が言っていたことを思い出し、

越前は足早にその場を後にしました。




























「おチビ、お帰…。」


菊丸は言いかけた言葉を止めて、越前を驚きに見開いた目で見つめます。

ガバッと立ち上がり、戸の前に立ちつくしている越前をぎゅう、と抱きしめました。


「どうした?何があった?」

「…。」


菊丸の問いかけにも越前は答えず、首を左右に振ります。

心配を顔にありありと浮かべて越前を見る菊丸を見上げ、越前は小さく口を開きました。


「明日、あの人が来るって。」

「あの人って…手塚?」

「ッス。」

「手塚に会ったのか!?何かされたのか!?」


心配を小さな怒りに変えた菊丸に、越前はもう一度首を左右に振ります。


「いえ、何も。あの人が来るのは、先輩に会いにッス。」

「…そか。」


越前の言葉を聞いた途端にしゅん、となった菊丸に、越前はやはりおかしいと思い、問いかけました。


「先輩こそ、あの人と何があったんですか?何かされたんスか?」

「うぅん。何にもないし、何もされてないよ。」

「嘘ですね。先輩、ちょっと前からおかしいッス。」

「…。」


越前の言葉に黙ってしまった菊丸を見上げ、越前はその視線で答えを促します。


「手塚と何があったわけでもないし、何かされたわけでもない。それは、ホントだよ。

 …俺が、悪いんだ。」

「…先輩が?」


意味がわからないという視線を向ける越前に苦笑を返しながら、

菊丸は抱きしめていた越前の身体を放しました。


「夕飯にしよっか。腹減ったろ?」

「先輩!」

「大丈夫。もうあんな失敗しない。

 おチビに心配してもらえるなんて光栄だよ。アリガト。」


いつものようにぐわしぐわしと越前の髪を撫で、菊丸は部屋の奥へ入っていきました。

それを憮然とした面持ちで見ながら、越前は足下にすり寄って来た猫を抱き上げます。


「ホァラ〜。」

「…ん。」


よしよし、と猫を撫でてやりながら、越前は菊丸を見続けていました。


「おチビ、ホントに大丈夫だから、そんな顔すんな。

 お前は俺の心配なんかしなくて良いんだからな。」


部屋の奥から出てきた菊丸は、川から取ってきたであろう魚を数匹持って越前に座るよう促します。

仕方なく土間から上がり、越前は猫を抱いたまま囲炉裏を挟んで菊丸の正面に座りました。


「先輩、いっつもそればっか。

 別に俺が先輩を心配しようがしまいが、俺の勝手じゃないッスか。」

「ん…まぁ、そだけどね。でも、俺はお前に心配してもらうようなもんでもないからさ。」

「ホァラ〜。」


賛同するように丁度良く鳴いた猫を見て菊丸は楽しそうに笑います。


「カルもそうだって言ってんじゃん。」

「カルは猫ッスよ。」

「んー?でも、カル頭良いっしょ。」

「ホァラ〜。」

「ほら!!」


余計なことを…と猫を歪めた表情で見る越前の視線も気にせず、

猫は越前の膝でのんびりとくつろいでいました。

そんな様子を見ながら、菊丸はもう一度笑います。


「…とにかく、明日あの人が来るんスから…本当にあの人が関係ないなら、

 元に戻って下さいね。心配、してました。先輩のこと。」

「…ん。わかってる。」


パチリパチリと立てられた音が、食事の出来を告げました。









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