03:忘れ物。




























流した汗をタオルで拭い、清涼飲料水の入ったボトルを煽る。

かけられた声に振り返れば、トレーナーが手招きしていた。

何だろう、と彼の元へ行けば、トレーナーはにこりと微笑んだ。


「奥さんが呼んでるよ。」


途端、場がザワリとどよめき立つ。

その反応まで見越していたのだろうトレーナーに呆れた視線を向けても、

彼は楽しそうに笑んでいるだけだ。

どこか中学時代のチームメイトを彷彿とさせるトレーナーに、

軽い頭痛を覚えながら礼を言う。


「私は間違ったことは言ってないよ?」

「わかっていますよ。」


小声で言われた言葉に、苦笑を返す。

俺が妻ではないのだから、

相手が妻だという表現はあながち間違っているわけではない。

ただし、この言葉を聞いて文句を言われるのは俺だ。

小さくため息を吐いて、好奇の視線が背を差す中、

相手の待つ廊下へ出た。


「誰が、奥さんだよ。」

「俺に文句を言うな。」


俺の相手を見た途端、冗談だと判断した視線達が元に戻っていく。

スーツに身を包んだ相手は、どうひねっても女には見えない。

背もそこそこあるし、顔も女顔とも中性的とも言いがたい。

本当に俺の相手だとは、

知っている一部の人間くらいしか思いもしないだろう。

予想通りに文句を言う英二を見下ろして、用件を聞く。


「どうした、スーツのままで。珍しいな。」

「昼休にちょっと抜けてきた。忘れ物してさ。」

「忘れ物?」

「うん。ちょっと時間ある?」


少し苦い苦笑を浮かべている英二に一度頷いて、

トレーナーに声をかけてロッカールームに連れて行った。

ここは契約者専用のものだから、誰かが入ってくる心配もない。


「で、何を忘れたんだ?」

「うん、さっき決まったんだけど、急遽今から出張行くことになってさ。

 昼休終わったら一時間くらい話して、準備してすぐ行くから。」

「そうか。帰りは?」

「三日後には帰ってくるよ。」

「あぁ。わかった。…それが、何か関係あるのか?」


メールでも留守電にでも入れておいてくれればいいような内容に、

俺は首を傾げながら尋ねる。

英二は少し困ったように笑って、俺の肩に額を寄せた。


「充電。忘れてた。

 いつも国光が行く時は前の日にいくらでも出来るけど、急なんだもんなー。

 しかも三日後ってさ、お前遠征に経つ日だろ?

 また一ヶ月くらい会えないじゃん。」


そう言って英二は肩に額を乗せたまま首をひねって俺を見る。

ポン、と背を撫でるように手を乗せると、嬉しそうに笑った。


「充電しといて良い?」

「あぁ。休憩は大丈夫か?」

「あと15分は。」

「15分か。」


小さく呟いて、背を何度か撫でる。

暫く沈黙が続いた後、英二の体を少し俺から離した。


「国光?」

「俺はこちらの方が良い。」


そう言って軽く触れるだけの口付けを落とすと、

英二は目を見開いて、少し照れたように笑う。


「半分ずつな?」


先は俺!と言って抱き付いてきた英二を抱き返しながら、

腕の中の体温に、彼ではないけれど力をもらった気がした。




忘れ物を取りに来てくれたから、

また暫く、少し位離れていても大丈夫だろう。









終。