雨は降り続けていて、辺りを見回しても上がる気配は微塵もない。

少し寒いと思いながら身体を震わせていると、

突然身体を打ち付けていた雨がやんだ。

見上げると、ひどく狭い範囲に広がった空色と満面の笑み。




























モノトーンの空色。




























足の裏を床に付けて歩く。

爪が当たって、カチカチ、と音がした。

見慣れない部屋。

見慣れない顔。


「うわ、ちょっと待てよ!!足!せめて足と身体拭いて!!」


そんな声と同時にバサ、と大きな布が降ってきて、

笑顔の主の手が俺の身体から水分を吸い取っていった。

タオルから顔を出して見ると、そいつと目が合って思い切り微笑まれる。

少し面食らってそのまま見ていると、そいつの掌が布から離れて俺の頭を撫でた。


「寒いよな?風呂入ろっか。」


その言葉に、雨に濡れていた身体を思い出して一度くしゃみをする。

そいつはまた、あはは、と笑った。


「風呂溜めてくるからさ、この前いろよ。寒いからな。」


そう言って、そいつは何かのボタンを押してどこかへ行った。

何とはなくそちらを見ていると、突然目の前から暖かい風が出てきて

俺は驚いて風の出てきた方向を見た。

どうやら暖房機らしい。

身体が暖かくなるのを感じながら、俺は小さくため息を吐く。

部屋をぐるりと見回して、笑顔の主が一人暮らしらしい事を悟った。

必要最低限のものしか置いていない部屋。

暫くするとそいつが戻ってきて、俺の隣に座った。


「お前、大人しいし偉いな。俺の言ってる事、わかんの?」


嬉しそうに向けられた笑みにまさか頷きを返すわけにもいかず、俺はそいつを見上げるに留まる。

するとそいつはまた俺の頭を撫でた。

俺のような種が突然変異で生まれるらしいとは、知り合いの獣医に聞いた。

医者ではなく、獣医だ。


「犬って偉いって言うけどお前は特別だな。

 家にいたヤツ、お前みたいに偉くなかったぞー?」


よしよし、と撫でられた頭に、尾を軽く振った。

犬。俺の種の名。

とはいえど、俺はそこらの犬とは違うらしい。

人間の言葉がわかるし、しゃべる事も出来る。

ついでに言えば、人間のような形になる事も出来る。

それが異常だということくらい、知っている。


「俺の事嫌じゃないなら、お前の事飼っても良いかな?

 大事にするよ?」


首輪してないから、野良だよな?

と言いながら、そいつは俺の頭を撫で続ける。

拒否しなければと思うけれど、なんとなく拒否するのが惜しい気がする。

どうすれば、と困惑し、ゆるく振っていた尾を止めてじ、とそいつを見上げた。


「あは、そんな困った顔して見上げなくても。」


ゴメンゴメン、と言って、そいつは俺を撫でていた手を止める。

すると、そのタイミングを待っていたかのようにピーと、音が鳴った。

驚いて視線を背後に動かすと、横に座っていたそいつが立ち上がる。


「風呂溜まったから、暖まろうな。雨上がるまで位は良いだろ?

 風邪引いちゃうよ。」


そう言って俺の頭をもう一度ひと撫でして、湯を止める為だろう、風呂場へ向かった。

ゆっくりと床に伏せ、ため息をもう一つ。

居心地は良いけれど、隙を見て逃げ出さなければ。

いつボロが出るかわからない。

俺が喋ることによって、驚かせたくはない。怖がらせたくはない。

そうなってしまうなら、なる前に。

ふんふん、と鼻を利かすと、ほのかに落ち着く香りがした。

少し惜しい気が、再度したけれど。


「わんこーう。おいで、入るよ。」


風呂場から伸ばした手がひらひらと俺を招く。

とりあえずはその招きに従い、フローリングの張られた床を歩いて笑顔の主の元へ移動した。


「良い子良い子。」


どうやら俺を撫でるのが好きらしいそいつに頭を撫でられながら、風呂場に下ろされる。

水は、あまり好きではないんだが。

さっきまで雨に濡れていたにもかかわらずそんな事を思いながら、

大人しくタイルの上に座った。


「シャンプーシャンプー…あー犬に人間用って駄目だったよなぁ…。

 確か、前ジャンに使ったのが…。」


ジャンとは、おそらく家にいたヤツ、とやらの事だろう。

ゴソゴソと脱衣所でシャンプーを探しているそいつを見上げながら、尾をはたり、と一度振る。

タイルに少し残っていた水を尾が吸って、少し重い。


「発見、犬用!」


見て見て!と嬉しそうに笑うそいつに、一度吠えて返事をした。

少し驚いたような顔をした後、そいつは満面の笑みを浮かべる。


「やっぱえーらいなーお前。何でお前みたいに賢い子が野良なんだろうねぇ。

 さて、お湯かけるよー。」


やっぱり俺の頭を撫でて、

シャワーを手に取ったそいつはなるべく顔にかからないようにしながら、俺に湯をかける。

雨などの影響で水に濡れられた事はあったが、湯に濡れた事は初めてで。

その妙な感覚に半ば呆然とそいつを見上げた。

暫くするとシャワーを止め、

犬用シャンプーを俺にかけてそいつはわしわしと俺を洗いだす。

微妙に音程のずれた鼻歌を聞きながら洗われるのは、実に心地が良かった。


「かゆいトコないですかー?なんちって。」


そいつも上機嫌げに、俺の身体を泡立てていく。

顔の近くに手が伸びて、む、と目を閉じると、

そいつは笑いながら目の上から耳の後ろを洗っていった。


「おっしゃ、流すぞー。」


その声と同時に身体にまた温かな湯がかかる。

泡とお湯に温まった身体がまた心地良かった。

暫くすると泡を落とし終わったのか、きゅ、と音を立ててシャワーを止める。


「うし!シャンプーかんりょー!!

 んじゃ、暖まろっか。中、入れる?」


指差された浴槽を見て戸惑った視線を向けると、そいつはまた笑って、俺を抱き上げた。

嫌な予感がしてそいつを見上げつつ、ジタバタと暴れてみる。

しかし、どうやら犬の扱いには慣れているらしく、そいつは楽しそうに笑っているだけだ。

尾をビシビシとそいつの足に当ててみるが、やっぱりくすぐったそうに笑うだけ。


「んじゃ、落とすよーん。ほい、3・2・1…。」











ぼちゃーん
















未だに少し湿っている身体を暖房機で乾かしながら、俺は隣に座るそいつを見上げた。

湯に入った身体はほこほこと湯気を立てている。

俺の視線に気付いたのか、そいつは嬉しそうに笑いながら俺に抱きついてきた。


「キレーになったな、お前。毛なんかふわっふわじゃん。」


少々驚いたが、触れた体温が心地よかったので好きにさせておく。

暫く俺の毛を堪能した後、そいつは立ち上がってキッチンの方へ歩いていった。


「喉渇いたよな?ほい、お前にも、水。」


適当な皿に水をなみなみと入れ、俺の前に差し出す。

風呂に入って水分を蒸発させたせいか、喉の渇きが自覚よりも大きかったらしく、

差し出された水を気付けば全て飲み干していた。


「おー!良い飲みっぷりじゃん。」


あはは、とやはりそいつは笑いながら、ペットボトルの中の水をグイ、と飲む。

そうしている時だった。

ピンポン、と呼び鈴が鳴り、そいつは玄関の方へ歩いていく。

ふん、と何とはなしに鼻を利かせ、掠めた香りに驚き俺はそいつの向かった方へ視線を向けた。


「やぁ、英二。久しぶり。」

「不二じゃん!!何、休み?」


玄関の戸を開けたそいつが嬉しそうに話しかけている相手。

ヤツには見覚えがあった。

う、と思ったときには時すでに遅し。

しっかりと視線が合っていた。


「…英二、どうしたの、アレ。」

「あれ?…あぁ、犬の事?なんかさ、ずぶ濡れだったから、つい。

 あったま良いんだよーコイツ。」


まるで自分のことを自慢するように俺を誉めるそいつと、ヤツを見る。


「ふぅん。頭が、ねぇ。」


ヤツは、クス と笑った。


「とりあえず、入れよ。何か飲みもん入れるからさ。」

「うん、ありがとう。」

「どーぞ。」


招かれるままヤツは部屋に入ってきて、何気なく俺の隣に座る。

笑顔の主が鼻歌を歌いながら飲み物の準備をしているのを確認して、ヤツは俺に小声で話しかけた。


「で、何で君がこんな所にいるの?手塚。」


ヤツは、実に腕の良い獣医だ。

嫌味ったらしいが、腕は確かで、知識の幅も広い。

実際、俺の事を教えてくれたのもヤツだった。


「連れてこられた。」


簡潔に、小声で返事を返す。

俺の返事を聞き、ヤツ…不二は、クスリと笑った。


「英二らしいね。…大人しく捕まったんだ?」

「…満面の笑みで抱き上げられてみろ、そんな気も失せる。」

「そう。」


くすくすと笑いながら、不二はわざとらしく俺の頭を撫でる。

噛みついてやろうかと思ったが、

タイミング良く笑顔の主が飲み物を持ってこちらにやってきてしまった。


「良いコだろ?コイツ。すっげ頭良くて、おっとなしいの。

 あ、そうだ。パッと見で良いんだけど、病気があるかないか、わかる?」


コーヒーが入ったマグカップを渡しながら、そいつは不二にそう聞いた。

受け取ったそれに口を付けながら、不二はたいして俺を見もせずに「大丈夫じゃない?」と言う。

俺のような種は、極端に病弱か、極端に頑丈かに分かれるらしい。

俺の場合は後者、という事は以前不二から聞いていた。

不二の言葉を聞いたそいつは、少しホッとしたように笑う。


「飼うの?この子。」


この子、の部分を強調しながら不二が聞くと、そいつは首を左右に振った。


「何か、嫌みたい。雨がやむまでって事で、俺が無理矢理世話やいてんの。」

「へぇ。」


雨がやまなければいいと思ってしまうのは、何故だろうか。

よしよし、と俺を撫でる掌に、少し目を細めて尾を緩く振る。

そんな俺を見ながら、不二がもう一度クス、と笑った。


「あ、不二。コイツと留守頼んで良い?」

「うん?良いけど…忙しいなら帰るよ?」


は、としたように顔を上げて言ったそいつを見て、不二が立ち上がる。


「あ、いーのいーの。コイツのご飯、買ってくるだけ。

 すぐそこのコンビニでも、あるっしょ?」

「あぁ、そう?」

「うん、ちょっと行ってくる。留守番よろしく!」


にっこ、と笑みを見せて、そいつはバタバタと家を出て行った。

足音が完全に消えたのを確認して、不二がくすくすと笑いだし、俺に向き直る。


「珍しいじゃない、君がなつくなんて。」


からかうような口調で言われた言葉に、俺は視線をきつくして不二を見上げた。


「なつく?」

「うん。しっぽ振ってるのなんて、初めて見たよ。」

「…そうか。」


自覚がないわけではないため、一度頷くに留めた。

どうにも、彼の傍は心地良い。

憮然としつつも頷いた俺を見て、やはり不二はくすくすと笑っていた。


「どれくらいぶりだろうね、元気みたいで安心したよ。

 相変わらず、放浪してるみたいだね。」


ぽん、とからかうわけではなく肩辺りに手を乗せ、不二はニコリと笑う。


「あぁ。この辺りに来たのは、久しぶりだ。」

「そう。」


ふふ、と笑って、不二は笑顔の主にもらったコーヒーを飲んだ。


「英二は、良い子だよ。」


ぽつり、と突然不二が言う。

その言葉に面食らって、俺は不二を少し間抜けな顔で見上げた。


「何だ、突然。」

「ん、まぁボクも一獣医として、君の友人として、

 あまり放浪は続けて欲しくないと思ってるんだよ。」


暖房機の風が、不二の髪を揺らす。


「英二は、良い子だよ。君のことも好きみたいだし。

 君だって、あの子の事嫌いじゃないでしょう?」

「しかし…。」


渋るのは、俺が異端だからだ。

普通の犬ならば、こうやって野良をしていることも、放浪することもなかっただろうが。


「ボクは、君を飼ってあげられない。

 英二なら可能だし、きっと、君の事も認めてくれる。」


ス、と真剣な目をして、不二は言った。

その言葉に返事を返さず黙っていると、玄関の戸を開く音が部屋に響く。

どうやら、帰ってきたらしい。


「たっだいまー!不二、あんがと!!」


そう不二に声をかけると、良い子にしてたか?と、楽しそうに俺の頭を撫でる。

まったくもって、忙しいヤツだ。

そう思いながらそいつを見上げていると、唐突に不二が口を開いた。


「ねぇ、英二。君さえ良ければ、この子を飼ってあげてくれないかな?」


その一言に俺は視線を不二に向け、そいつも同時に不二を見る。


「え、そりゃ、俺は嬉しいけど…嫌がったんだって、コイツ。」

「うん。それはね、理由があるからなんだ。」

「へ…?何、コイツお前の知り合いの犬だったりする?患者?」


不二の言った言葉に、そいつは少し慌てているようだった。


「知り合いの犬というより、この子自体がボクの知り合い…かな。患者ではないよ。」

「あ、そっか。お前野良だもんな。」


不二に向けていた視線を俺に戻して、そいつは俺の頭を撫でる。

何度か撫でた後で、はた、と動きが止まった。


「あれ?じゃぁ、不二何でコイツのその、理由?知ってんの?」

「直接聞いたから。」


キッパリと不二が言った言葉に、俺は一度強く吠える。

そいつは驚いたように俺を見た後、少し呆れた視線を不二に向けた。


「何だよ、からかってんの?そんな訳ないじゃん。」

「世の中には不思議な事が沢山あるんだよ、英二。

 手塚、しゃべってごらん。」


促すように、不二は俺を見る。

その言葉に従うわけにもいかず、低く唸りながら不二を睨んだ。


「ほら、コイツ怒ってんじゃん。不二が変な事言うからだろ?

 第一、なんだよ手塚って。」


名字じゃん、と言いながら、そいつは笑う。


「手塚。」


再度促すように呼ばれた名に、強く吠えて返す。

馬鹿な事を言うな。

そんな意味を込めて。


「そうやって逃げるから、いつまで経っても放浪するしかないんだよ。

 君はそうやってしゃべらない事で、自分の存在すら否定するの?」


その不二の言葉に、グ、とつまり、吠えようと口まで出かけていた音は飲み込んだ。


「逃げるのは勝手だけど、このままだとボクが頭の狂った人間になっちゃうじゃない。

 自分を否定している君が正しくて、君の存在を認めているボクの方がおかしいの?」


そんなの、変じゃない?

そう言って、不二はいっそ艶やかな程に笑んで見せた。

ぽかん、と不二の言葉を聞いていたそいつは、ゆっくりと視線を俺に移す。


「手塚。

 …ほら、手塚。」


名を呼ばれ、俺は諦めから来るため息を、一度吐いた。


「何を話せと言うんだ。」


バサ、と、そいつの持っていたビニール袋が落ちて、

中に入っていたドッグフードの外装が床を傷付ける。


「うん?別に、何でも良いよ。」

「特に話す事はないが。」

「相変わらず愛想ってモノがないね、君。拾われる前に、捨てられちゃうよ。」

「拾われてもいないのに、捨てられるわけがないだろう。」


ム、として言い返すと、不二はニコ、と笑った。


「まぁ、こんな感じなんだけど…どうかな?英二。」


呆然、と俺を凝視しているそいつに視線を向けて、不二は問う。

ギギギ、と音がしそうな程不自然に顔を動かして、そいつは視線を不二に移した。


「…え、え、と、何?」

「うん。だから、こんな風に愛想の一つもないんだけど、どうかな?」

「何、が?」

「英二さえ良ければ、手塚の飼い主になってくれないかなって、話。」


不二の言葉を受けて、そいつはまた俺に視線を戻す。

怯えたような、目。

あぁ、だから嫌だったんだ。

そう思いながら、視線を返した。


「お前、手塚って、いうの?」

「…あぁ。」

「しゃべれるし、俺の言ってる事、わかる、の?」

「あぁ。」

「犬、なんだよな?」

「そうだ。」


少し控え目ながらも、つい、と伸ばされた掌を、受け入れる。

何度か撫でられ、その心地よさに目を細めた。

コイツの掌は、ひどく心地が良い。

はたはたと尾を緩く振ると、そいつは少し嬉しそうに笑った。


「手塚は、嫌じゃない?」


俺の前にしゃがみ込んで俺に視線を合わせて、そいつはそう言う。

意味がわからなくて首を傾げると、そいつは小さく笑った。


「俺に飼われるの、嫌じゃない?」

「…嫌なら、交渉などしない。」

「そか。」


えへへ、と笑って、そいつは俺にぎゅう、と抱き付いてくる。

少し驚いて振っていた尾を止めると、パ、とそいつは身体を離した。


「じゃぁ、お前は今日から菊丸だね。」


ぽかんとそいつを見上げる俺を見て、行く末を見守っていた不二がクス、と笑う。


「良いんだ?英二。」

「うん。驚いたけど…こうもはっきりしゃべられちゃ、オモチャとも嘘とも思えないし…

 俺、目の前で起こった事は素直に受け入れる質だからね。

 手塚も嫌じゃないって言ってくれたしさ。」


ちょっと嬉しい。

そう言って、そいつは照れたように笑った。

そして俺に再度向き直り、掌を上に向けて差し出す。


「俺、菊丸英二って言うの。よろしく、手塚。」

「…あぁ。」


差し出されたそいつ…菊丸の掌に前足を乗せて、

にこ、と満面の笑みを浮かべた菊丸の言葉に、頷こうとした瞬間…





ボン





と、間抜けな音がして、視界が突然ぼやけて色を持った。


「あ。」


ぼやけた視界の中、呆然としている菊丸と、

少し驚いたように目を見開いている不二が、かろうじて見える。


「ゴメン英二、言い忘れてた。手塚って、人型にもなれるんだよ。」

「っっ!!!!!」


ぱくぱく、と口を動かして心底驚いている様子の菊丸に同情しながら、視界に自分の掌(前足)を入れた。

どうやら俺は人型になったらしい。


「不二、眼鏡を持っていないか。視界がぼやけてかなわないのだが。」

「ボク視力良いから。」

「…そうだったな。」


犬の時には聴覚や嗅覚が優れている為視界の悪さは特に気にならないが、

人型になっても犬の時の視力だけはそのまま引き継がれる所為で、

聴覚や嗅覚が能力低下な上、視力が極端に悪くなる。

ぼんやりとした視界の中、目の前にいる菊丸に何とか視線を合わせた。


「菊丸、悪いが眼鏡…」


言いかけた所で、風呂に入った折に俺の身体を拭いていたタオルが飛んでくる。

困惑して菊丸のいる方を見ると、すく、と立ち上がり、部屋の奥に消えた。


「…この期に及んで捨てられるかもね。」


クス、と笑いながら言う不二の言葉も冗談に聞こえず、硬直したまま呆然とそちらを見続ける。

暫くすると菊丸は俺の視界に戻ってきた。


「とりあえず、着替え。サイズ間違えて買ったヤツだから入ると思うけど…。

 それに着替えたら、眼鏡買いに行こ。」


菊丸の言葉に驚きながら手渡されたものを受け取った。

…服?


「…俺を捨るのではないのか?」


呆然としながら言った俺の言葉に、菊丸が小さく笑う音がする。


「今日からお前は菊丸。だろ?」


ビックリしたけど、もう何でもありだよ。と笑いながら、ぽんぽんと菊丸は俺の頭を撫でた。

そうして接してくれる菊丸を嬉しく思い、その撫でられた手を引っ張る。

バランスを崩して倒れてきた菊丸の唇を、一度舐めた。


「ありがとう。」


ガチ、と動きを止めた菊丸の手をぎゅう、と握りしめて、そう言う。

暫くしても反応が返ってこなかったので首を傾げていると、

ずんずん、と近寄ってきた不二にグイ、と後ろ首を掴まれた。


「…何してるの、君。」

「何、とは?」


人間はこうやって親愛の情を示すのではないのか?と首を傾げると、

不二ががっくりと肩を落とす。


「何でそんな中途半端に間違った知識持ってるのさ…。」

「間違っているのか?…すまない、菊丸。嫌だっただろうか。」


困ったような顔をしている不二から、硬直している菊丸に視線を移すと、

ひどくぎこちなく、菊丸が笑った。


「んん、まぁ、良いけど…他の人にはやっちゃ駄目だよ、手塚。」


あはは、と乾いた笑いを浮かべる菊丸の顔が赤いのは気のせいだろうか。

首を傾げつつ、一度頷く。


「あぁ、わかった。お前だけにする。」

「や、それもどうだろ…。」

「…?駄目なのか?」


よくわからず首を傾げると、菊丸はう、と言葉につまった。


「駄目って訳じゃ、ないけど…さぁ。」


菊丸の言葉にそうか、と一度頷いて、じ、とその目を見る。

おそらく、今が元の姿だったとしたら、俺の尾ははたはたと揺れているのだろう。


「ま、良いや。とにかく、服着てよ。眼鏡買いに行こう?」


そう言って笑い、菊丸はまた俺の頭を撫でた。


「不二も行こーよ。」

「…そうだね。雨の中の散歩も、良いかもしれないね。」


苦笑混じりに、不二が答える。


「よし!決まりな!!」


嬉しそうに言った菊丸の言葉を聞きながら、少しおぼつかない手つきで着替えをすませた。

す、と立つと、随分上にあった筈の菊丸の顔が少し下に見える。

俺を少々悔しそうに見上げながら、菊丸はよくできました、と俺を撫でた。


「雨が上がったら、たくさん散歩行こうね、手塚。」


雨が上がっても、ここにいて良いのだと、そう言う言葉。

ふ、と目を細めて、返事の代わりに少し下にある菊丸の頬を舐める。

少し驚いたような顔をした後、菊丸は照れたようにくすぐったそうに笑った。



「…何だか、あてられた気すらするなぁ…。

 さ、行こうか。英二、手塚。」

「おう!不二、この辺の眼鏡屋さん知ってる?」

「んー確か、商店街の方にあったはずだよ。」

「よし、んじゃそっち行こうか。手塚、歩ける?」

「あぁ。大丈夫だ。」

「でも、まだ慣れてはないみたいだね。転ばないよう、気をつけなよ。

 怪我したとして、治療するのボクなんだから。」

「…わかっている。」

「あ、手塚、靴は俺の貸してあげる。左のね。」

「左?」

「そっちー。」

「何でそんな事も知らないのにあんな変なこと知ってるのさ…。」

「?何か言ったか?」

「なにも?」


わいわい、と会話をしながら玄関の戸をくぐり、閉めた。





モノトーンの空色になっても出掛けよう。

君と。










了。




犬の目は、色の識別を殆ど出来ないそうです。
赤とか、緑とか、あの辺はギリギリ、何とか見えているようですけど、殆ど白黒世界らしいです。
なので犬の状態で見た空色=モノトーンなのよって事でお願いします。
…って事で、

ごめんなさい。悪ふざけが過ぎました。

個人的には非常に楽しかったです★やりたいこと詰め込んだらこんな長く…。
これを書きながら、もう何年も前にWJでこんな漫画があった事を思い出しました。
えー因みに、アンケの項目にあった、『手塚を飼う菊丸』です。書いてみたくなったので、つい。
シリアスなようで、しっかり馬鹿話。人型の手塚は終始素っ裸で正座です。(痛)
うっかり菊塚のようですが、塚菊ですよ。
多分これで塚は嬉しいときのちゅー癖が付いたので、可哀相な菊には流されていただきます。
犬に押し倒されるわけですな!!わはははは!
犬モードだけでも良いかと思ったのですが、それじゃぁ塚菊にならないか・ら・さ…!!(逝け!!)
…………まぁそれはともかく、
英二に撫でられてパタパタしっぽ振ってる犬塚は普通に可愛いと思うのですが、どうでしょう?
と、言うわけで、この案を出して下さった竜原さん。
個人的には楽しく書かせていただきました!
提案していただいたお礼を兼ねて、よろしければどうぞお納め下さい…!
…なーんて、いらねぇよって話ですね。すみません…!!
失礼いたしました!

2005-11-17 茶瓜。