繋がった先にいるのは『彼』なのか、

それとも、自分で作りだした幻影なのか。

薄い紙に印刷された姿が、本物なのか、偽物なのか。

見たこともないその世界に、『彼』は存在しているのか。




























自動音声通話。




























『お電話、ありがとうございます。』


受話器から聞こえてきた音を聞いて、しばし動きを止める。

呆然と携帯を見つめていると、催促の音が聞こえてきて、

慌てて携帯を持ち直した。

ピピピ、と電子音を立ててボタンをいくつか押し、目的を果たすと

電源ボタンを押して料金のかからない通話を終了させた。


「何か、やな感じ。」


勿論それは自動音声通話のフリーダイヤルに宛てたものではなく、

それに対して行き着いてしまった己の考えに、だけれども。


「電話、しよっかな。」


そこかしこに置かれた、『彼』が載っている雑誌をちらりと見る。

しばらく見つめた後、いやいや、と首を左右に振った。

するな、と言われた訳ではないけれど、時差を考えると、

こちらは昼間でも、あちらは朝方だったりする。

疲れて寝ているであろう彼を起こすのは、さすがに忍びない。

起きているとしても、朝が忙しいのは世界共通であろうし。

そんなことを考えながら、菊丸はとりあえず出かけよう、と立ち上がった。





今や、『彼』がテニス雑誌に載らない月などない。

中学卒業を待たずに留学した『彼』は、

そのまま留学先を基点に、プロテニスプレイヤーとして世界を回っている。

元々の素質や実力、彼の努力も相まって、日本人では快挙とされる順位や結果を叩き出していた。

近頃は、普段テニスをそれほど取り上げないテレビでも、

『彼』を見る機会が随分と増えた。

そのおかげで、菊丸の購読雑誌はものすごい勢いで増え続けている。

大学入学と同時に始めた一人暮らしの部屋。

実家の二人部屋に比べれば断然広いはずのその部屋を、

そんなことは関係ないとばかりに雑誌が占領していく。

バイト代の半分はそれに消えているのではないかと思ったら、少し虚しくなった。

いっそ、『手塚国光掲載雑誌博物館』でも出来そうな勢い。

スクラップしていこうかと考えたこともあったが、

量が量だけに、あっさりと諦めた。

手塚が載っているページは、どの雑誌であってもすべて暗記してある。







授業もバイトもない、久しぶりに出来た丸一日の休日。

特に宛もなく家を出た菊丸は、暫く近くの店を見ながらブラブラと歩いていたが、

結局足はそこへと向かって行った。

商店街の中程にある、さほど大きくはない書店。


「あ、手塚。」


明日発売予定の雑誌の早売りが、もう書店には並んでいた。

また表紙か、と苦笑しつつその雑誌には目をつけておいて、ほかの雑誌を捲り出す。

初めこそ探すのに苦労した手塚の記事は、

日を重ねるにつれ、見つけるのも随分と容易くなっていた。

それに比例するように、掲載される雑誌の数も増えていく。


「あー、これにも載ってんじゃん。」


ぶつぶつ、と独り言を言いながら、

菊丸はスポーツ雑誌をめくっては記事を見つけ、手に重ねていく。

こんな風に菊丸は、月に何度か雑誌をチェックしに本屋へ立ち寄るのが癖のようになっていた。

店主とはもう顔なじみで、買っている雑誌もいつもスポーツものばかりなので、

熱心なスポーツファン、もしくはテニス好きだと思われているのだろう。

…間接的には、間違っては、いないのだけれど。

あまり大きな書店ではない為、さほど種類のない雑誌のチェックを早々に終えると、

菊丸は手に持った雑誌の上に先ほど目をつけていた雑誌を乗せ、レジへと足を向けた。

不意にそらした視線の先に、『手塚国光』の文字が目に入って、足を止める。

その漢字四文字に過剰に反応するようになった自分を笑いながら、

手に持つスポーツ雑誌を端に置いて目に入った雑誌を手に取った。

世の奥様方が好みそうなその雑誌を見るのに少し戸惑いを覚えたけれど、

興味には勝てずにページをめくる。

行き着いた先には、その類の雑誌にはお決まりの『熱愛発覚!?』の、文字。

相手は、今人気急上昇中の女子アナウンサーだった。

掲載されている写真には、いつ、どこで撮ったのか、

とても穏やかな表情で公衆電話から電話を掛けている手塚が写っていた。

少し照れたような顔で携帯で電話をしている女子アナウンサーの写真が、

対のように隣のページに掲載されている。

スポーツ選手と女子アナウンサーの色恋事は、もうお決まりのパターンなのだろう。

テレビ番組での共演をきっかけに、交際スタート!?

穏やかな顔で話す相手は…!?

などという言葉が、黒い四角の中に白抜き文字ででかでかと書かれていた。

確か、一ヶ月ほど前にテレビのインタビューに答えていた時、

インタビュアーが彼女だったかな。と、頭の端で思う。

記事をあらかた読み終え、その雑誌は手に取らずに菊丸は端に置いた雑誌を持ってレジへ向かった。

確かその時の事を手塚は、「テレビに出る人間は、あんなにも顔に塗りたくるものなのか?」

と、色気のかけらもない感想を漏らしていたはずだ。

女の人にそんなこと言っちゃダメだよ、と返すと、

わかっている、とおそらく頷いたであろう返事が返ってきた。

ふ、と笑ってしまいそうになるのを何とか抑え、紙袋に包まれた雑誌を受け取った菊丸は、

笑いがあふれない内に書店を出る。

足を適当に進めながらあの、唯一買わなかった雑誌の記事を思い出し、

手塚の相手が自分でなかったことに、少しだけ安堵の息を吐いた。

それと同時に、そんな事が雑誌に載るような人になったのだ、という思いが湧いて出る。


「なんか、変なの。」


昔から…それこそ手塚と菊丸が付き合う前から、誰々が手塚が好きらしい、とか、

学校で一番可愛いあの子が、手塚に告白したらしい、とか、

そんな話が絶えず出るような人ではあったけれど、

もう、そんなレベルではなくなったのだ、と。

学校で一番、ではなく、日本で一番…

はたまた、世界で一番、という人にさえ近い場所にいるのだと、半ば呆然として呟いた。

はぁ、と小さくついたため息に、家を出る前に至った思考を思い出す。

確かにいるはずなのに、確信など、どこにもないような。

霞を、掴むような。

そんな、言うなれば、馬鹿げた考え。


「もっしもっし手っ塚ー手っ塚っ君ー。

 あっなたっはどっこにぃー、いっるのっかなぁー。」


口を付いて出たくだらない歌に、自分で小さく笑った。

自分の知っている手塚国光は、本当にあの雑誌や、

今自分の手の中にある雑誌に載っている手塚国光なのだろうか、と。

自分と同じチームで、部の部長として誰よりも前にいた手塚国光は、

今、日本はおろか、世界すら極めてしまいそうな手塚国光と同じなのだろうか、と。

テレビで、相変わらずの無表情でインタビューに答えている手塚国光と、

携帯のボタンを3つ4つ押すことですぐにでも繋がる手塚国光とは、同一人物なのだろうか、と。

菊丸が手塚と付き合い始めてから、もう何年も経っていて…

浮気の心配をするわけでもなく、気持ちを疑うわけでもないけれど。

もちろん、見る、だけならば、彼以外の誰でもないその姿を、

色々な場所で目にすることができるのだけれど。

…存在を。時折、本当に彼が存在しているのか、を、疑いそうになる。



例えるなら、そう。先程の、

『自動音声通話』

の、ような。



相手がいるようで、いない。そんな。

もしかしたら、電話を掛けても繋がった先は、自分を知り尽くした性能のいい機械。

もしくは、実際には存在しない、自分の空想の中かもしれない。

本物の手塚国光は、雑誌の中の、テレビの中の、自分など到底届かない…そんな世界にいて、

自分の知っている筈の手塚国光は、実は存在していないのではないか、なんて。

スイ、と晴れ渡っている空を見上げる。

思い切り息を吸い込んで、思い切り息を吐き出した。

同じ空の下、とはよく言うけれど、地球の形が丸い以上、見上げた先は宇宙しかないはずで。

いっそ地面を見た方が近いのではないか、なんて、ひねくれた事を思ってみたりする。

それこそ、気候も言葉も吹く風も…時間すら、まったく違うような遠い場所なら、尚更。

見たこともない、行ったことなど到底ない、聞いたことすら怪しいような場所に、彼はいる。

らしい。

テレビでどんなに中継されても、名所らしき場所と共に写る写真が雑誌に掲載されていても、

自分の目で、肌で、感じない限り、

彼がそこにいるのだと信じることなど、できないのかもしれない。

どれだけ電話で話していても、目の前で声を発してもらわない限り、

彼が自分の知る彼で、本当に彼が言葉を発しているなどと、理解できないのかもしれない。


「なーんて、ね。」


本人に言えば、おそらく呆れたため息が一つ、返ってくるだろう。

もしかしたら、困ったような言葉が一言、返ってくるかもしれない。

…試してみようか。

そうして至った考えに、小さく笑う。


「朝、電話してみよっかな。」


朝早くならば、あちらは夜で、手塚も少し時間があるだろうから。

菊丸は適当に進めていた足を、自宅へ帰るものへと方向転換させた。




























白昼夢、という言葉が、頭をよぎった。

ゆっくりと近づく菊丸の足音にすら、ピクリとも反応を返さない。

洗濯機の横の大きな荷物と、小さく丸くなった身体。

辺りはもう随分と暗くなっていて、それでなくとも雪がちらついたとか、

そんなことを言うような季節なのに。

同じように、しゃがんでみる。

相変わらず長く伸ばされた前髪が、冷たい風にかすかに揺れていた。

その髪に触れて、白昼夢ではないことを確認する。

目に入ってしまいそうなそれを切れば良いのに、と思った事は

一度や二度ではなかった。


「バーカ。」


スポーツ選手の癖に。

風邪引いても、知らないからな。

そんな意味合いを込めて、呟いてみる。

それに反応したのか不意にゆっくりと顔を上げ、

眠気の為か少し細められたガラス越しの瞳が、菊丸を映した。


「英二。」


少し掠れた声が、彼の存在を際立てているような気さえする。


「おはよ、手塚。」


だらしなく緩んでるであろう顔に怪訝な視線を返されても、許して欲しいと思った。


「風邪引くよ。中、入るだろ?」

「あぁ…。」


焦点を合わせるように目を何度か伏せ、眉間に皺を寄せている。

少しして視界がはっきりとしたのか、手塚は菊丸をじっと見た。

特に何の言葉を返すこともなく見つめ返すと、スイ、と伸びた手が菊丸の頬に触れる。

少し驚きながらそのまま見つめていれば、伸ばされた手の親指がゆっくりと菊丸の唇をなぞり、

そのままごく自然な動作で、手塚は菊丸に口付けた。

軽く、一瞬触れるだけのキス。


「手塚…?」


離れて行ったぬくもりに瞬きを繰り返すと、ふ、と手塚の目が細められる。


「いや、すまない。入るか。」


そう言う手塚の表情にデジャブのようなものを覚え、菊丸は首をひねった。

と言うか、ここアパートの廊下なんだけど、と今更ながらに少し焦ってみる。


「英二?」

「ん、あ、ゴメン。開けるね。」


お互いに立ち上がって、鍵を開けると玄関の戸を開けた。

手塚のそれに比べれば3分の1もないような部屋だけれど、

予告もなく帰ってくる時、手塚は菊丸のアパートで待っていることが多かった。

そんな彼が、心底嬉しくて、愛しいと思う。

買った雑誌の入っている袋を床に置くと、手塚に適当に座るよう促した。


「どしたの、今回は。こっちで仕事?」


キッチンで湯を沸かしながらそう聞いた菊丸に、手塚は床に座りながら一度頷く。


「あぁ。契約の関係で、一度戻って来なければならなくてな。」

「ふぅん。なんかよくわかんないけど、大変だねぇ。」


しゅんしゅん、と音を立て始めたヤカンの火を消して、

大きなコップ二つに粉コーヒーを入れ、湯で溶かした。


「はい。」


そこらじゅうに置いてあるテニス雑誌を見回している手塚に苦笑しながらコップを渡せば、

ありがとう、と礼が返ってくる。

ゆっくりと隣に座れば腕が少し触れて、布越しに少しだけ暖かい体温が伝わった気がした。


「よくここまで集めたな。」


驚きと関心と、少しの呆れが入った言葉に困った笑みを返して頷く。


「もうね、雑誌チェックが習慣みたいになってるよ。」


先ほど床に置いた袋を指して、あれは今週の。と言うと、手塚は少し苦そうな顔をした。


「姿が、見えないからか?」


年に何度も会えるわけではない。

手塚を目にするためには、雑誌とか、テレビとか、そんなものしかなくて。

おそらくそういう意味であろう問いに、菊丸は首を左右に振った。


「違うよ。手塚国光を、たくさん知っておきたいだけ。」


姿を確認したいだけならば、それを間接的な理由にして存在を疑ったりは、しない。

雑誌を馬鹿みたいに集めているのは、『二次元的』な手塚でも、知っておきたいから。

呟くように言った菊丸の言葉に、手塚は少し笑った。


「そうか。」

「うん。」


ふわふわと湯気を立てるコップに唇を寄せて、濃い茶の液体を口にふくむ。

カタン、と響いた音に顔を上げれば、手塚のコップがテーブルの上に置かれていた。

中身はまだある。


「手塚?」


不意に菊丸の手に添えられた掌がカップを奪って、テーブルに置かれる。

呆然と見上げた頭ごと、手塚はぎゅ、と菊丸を抱きこんだ。

じんわりと伝わるぬくもりと共に、ふぅ、と小さく息を吐く音が、菊丸の耳に届く。


「俺に、お前を知る手段はないからな。」


愛おしむ様に柔らかく動く掌に、もしかしたら、と思う。

あの馬鹿げた考えを、手塚も持っていたのだろうか、と。

おそらく穏やかな顔をしているであろう手塚の顔は見れないけれど、

菊丸は少し嬉しくなってぽんぽん、とその背をなでた。

そこで、ふと、思い出す。

あぁ。そういえば…


「なぁ、先々週、公衆電話から電話かけてきたよな?」

「…あぁ。携帯を部屋に忘れてな。急ぎの用でもあったし…

 使い勝手がわからなくて、少し困ったな。」

「うん。初めてだもんね。」


何だ、簡単なことじゃんか。


「手塚国光。」

「…何だ。」


菊丸がフルネームで名を呼ぶと、

手塚は抱きしめていた腕を少し放して怪訝な顔をする。


「好きだよ。」


菊丸の告げた言葉に一瞬驚きを顔に乗せた手塚は、

すぐに柔らかな表情になった。

電話してる時も、こんな顔してるんだな。

なんとなく、それだけで良いような気がした。





あの馬鹿げた、自動音声とか、存在しない手塚とか、そんな話をしてみようか。

呆れたため息が一つ、返ってくるかもしれない。

困ったような言葉が一言、返ってくるかもしれない。

けれどもしかしたら、

同意と共に唇にひとつ、ぬくもりが返ってくるかもしれないから。




















end.