感情誘導論。
 =本論03・崩壊までの序曲=




























「アウト!!」


イライラとしながら、菊丸はラケットを握っていた。

勿論、このイライラがパートナーに伝わらないはずもなく、大石は少し困ったような表情を見せるが

不調の時は自分で解決するしかないと知っている為、トン、と肩に手を置くだけ。


「ゴメン。」

「いや。休憩するか?」

「ん、あんがと。」


乾いた笑みを見せてラケットをパートナーに預け、菊丸はタオルを持って水飲み場に向かう。

がむしゃらに動いたので、無駄に汗をかいていた。

けれど、それでボールが拾える訳じゃない。

イライラの原因なんてわかってる。

痛くて仕方がないんだ。

時折向けられる、刺すような視線が。

小さくため息を吐いて、菊丸は歪めた顔を元に戻した。

水飲み場には、見慣れた、小さな姿。


「おチビも休憩?」

「ッス。」

「そかそか。」


そこで菊丸が顔を洗い始めた為、一度会話が途切れる。

水の跳ねる音だけが響く中、越前はちらりとコートに目を向けた。

ため息を一つ。


「部長と、何かあったんスか?」


水を止め、顔を上げた菊丸に問う。

驚いたように動きを止めた菊丸を見ながら、越前はやっぱり、と呆れた視線を向けた。


「わかり…やすいかな…?」


戸惑うような、不安げな表情をした菊丸に、越前は一度首を左右に振る。


「いえ、俺は知ってるからそう思っただけだと思いますよ。

 部長の視線も、不調の菊丸先輩をいぶかしんでるように見えますし。」

「そか。」


ホッとしたように顔を拭きだした菊丸を見上げ、越前は再度聞く。


「で、どうしたんですか。」

「ん、ちょっとね。喧嘩。」

「へぇ…また、何で。」


越前の知る限りでは、手塚と菊丸の喧嘩など想像も出来ない。

時折愚痴りはするものの、菊丸は結局、でも好きなんだよ。で終わるし、

感情的な手塚が越前には想像出来ないからだ。


「聞いてくれるー?おチビぃぃーーー。

 って事で、一緒に帰ろ?」


誰もいないことを良いことに越前に抱き付いてそうねだる菊丸に、

越前ははいはい、と頷きながらずるずると菊丸を引きずってコートに戻る。


「大石先輩、バトンタッチ。」

「あぁ。ほら、英二。練習するぞ。」

「おーうさー!」


大石に引き渡した途端、ぴょい、と体制を直して、菊丸は笑った。


「さんきゅうな、おチビ。」

「ッス。」


菊丸にヒラリ、と手を振って、手塚の方へ歩いていく。

そこにある眉間の皺が、いつもより深い。

いつもの様に腕を組んで練習を見ている。

…フリをしている。


「部長。」

「何だ。」


その表情と同じように固い声で返され、越前は小さく笑った。


「そんなに眉間の皺深いと、いつかばれますよ。」


越前がそう言うと、手塚は眼鏡の奥の瞳を少し見張って越前を見下ろす。

その視線をわざと無視し、越前はそのまま正面のコートに入って桃城とラリーを始めた。


「…誰の。」


所為だ、と呟きそうになった言葉は、

己の所為だと思い直して口をつぐんだことにより、

誰にも、己にさえも、聞き取られることなく。




























「なんかさ、ちょっと前から機嫌悪いなぁとは思ってたんだよ。

 でもなかなか二人になる機会なくて、聞けなかったんだけど…。」


部活終了後の帰り道。

随分と暗くなった足下に注意しながら長い階段を下る。

結局調子も戻ることなく、少しのイライラを残したまま菊丸と越前は共に帰路についていた。

喧嘩した、という菊丸の言葉通り、手塚はあれから菊丸を見ることも殆どなかったと思う、


「昨日たまたま忘れ物して部室に戻ったらまだ手塚がいてさ、聞いたんだよ。

 そしたら、自分で考えろ、だもんな。知らねーっての。」


はぁ、とため息を吐く菊丸を見上げ、越前の心中は複雑だ。

ずっと残っていた妙な感じが、だんだんと大きくなっている。


「言ってくれなきゃわからないっつってんのに、だったらわからなくていい、とか。

 挙げ句の果てにさっさと帰ろ、って言うし。さすがにふざけんなーってなって。」

「で?」

「グーで一発殴って帰ってやった。」

「…また随分と、思い切った事しましたね…。」


驚いている越前に菊丸は自分の手を見ながら苦笑を浮かべた。


「でもさ、思いっきり殴ってやろうと思ったのに…

 やっぱちょっと手加減しちゃったんだよねぇー。」


俺って手塚に甘いなぁ…。

と苦笑を浮かべたまま、菊丸はグイ、と越前を引き寄せて抱き付く。

ギュウギュウと抱きしめられて、越前は苦しさに菊丸の腕を数回叩いた。


「殺す気ッスか。」

「まーさか。ゴメンゴメン、おチビちゃん。」


ゲホ、と菊丸を振り返りながら喉元に手をやり、

息苦しさを紛らわせた所為で越前は注意力が散漫になっていた。

ふらり、とバランスを崩し、

階段を一段踏み外す。

下段に背を向けていた越前は、身体が重力に従うのを感じた。


「おチビ!!!!!」


やばい、と思った時には体が強い力で菊丸の方へ引き寄せられ、

そのあまりの勢いに階段の方へ倒れ込んだ所為で、段に鼻をぶつけそうになる。





ズザザザザザッ

ガシャッ

ガツッ


「っあ゛…!!」





背後で擦るような、ぶつかるような音が響き、

同時に聞こえたうめき声に越前は驚いて背後を振り返った。

隣にいて、引き寄せてくれたはずの菊丸が数段下でぐったりと座り込んでいる。

その更に数段下に、菊丸のテニスバッグ。


「せ…先輩ッ!!!」


サ、と越前の顔から血の気が引いた。









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長くなったので、切りました。
なので、読める展開でもご勘弁を★
言ってしまえばまだ序論でも良いんですが。
まだ三角関係にすらなってませんしね。(汗)