これからもずっと、ずっと。




























指輪の理由。




























「英二。」


夕日も沈み、辺りが薄暗くなっていくような時間。

淡いベージュの大きなソファの上。

薄暗い部屋に響いた声に、俺は一度大きなあくびをしてむくりと起き上がった。


「お早いお帰りで、旦那様?」

「飛行機が遅れたと言っただろう…。遅くなったのは、すまなかった。」


俺の愛しの旦那様は大きな鞄を持ったまま、困ったように苦笑いを浮かべている。

にんまりと笑ってやれば、そいつは俺の頭にぽんぽんと二度手を乗せた。

困っているときのこいつの癖。但し、俺限定ね。


「おかえり、国光。」

「ただいま、英二。」


にこりと笑い直して、差し出された手に捕まった。

付き合って12年目。

一緒に暮らして5年目。

俺の名字が『菊丸』じゃなくなって、3年目。

といっても、結婚したわけじゃない。出来ないしね。

養子縁組ってヤツ?

籍を手塚家に移して貰ったんだ。戸籍上は、俺は国光の弟って事。

でも、俺に『手塚』って名字をくれたこと、本当に嬉しかった。


「顔がニヤけているぞ。」


鞄を床に置きながら、コツリと国光に額を小突かれた。

見上げると予想通り苦笑を浮かべてる。

なんだか嬉しくて、思わず抱きついた。

ぎゅうー。


「どうしたんだ。随分と甘えてくるな。」

「当然じゃん?一ヶ月ぶりの旦那様のご帰宅だもんねー?」


中学を卒業して早10年。

国光は当然のようにプロテニスプレイヤーになった。

今や知らない人なんかいないんじゃない?って程有名なね。

俺はフツーにサラリーマンってヤツ。

入りたい会社に入れたから、文句なんて何もないけどね。仕事、好きだし。

で、国光はそれ試合だそれ仕事だといって一緒に住んでいてもなかなか一緒にいられない。

しかも、たまの休みも大抵平日で俺は仕事があるから、手塚は家に一人で居るか、出かけてるみたい。

でも、国光はこれから待ち望んだ長期オフ!!

俺は仕事があるけど家に帰れば国光がいるわけだし、休みの日は一日一緒だし、

しっかり構って貰うんだもんね!!


「さて、腹減ったろ?ご飯すんね。喜べ!!うな茶だよん。」


しがみついていた手を離した俺の髪を撫でて、国光は柔らかく笑った。

それに笑顔を返して俺はキッチンへ向かう。

どうせすぐにお腹がすくんだと思ってたから、下準備はバッチリ!

後は、焼いてーダシ温めるだけー♪

コンロに火を付け、ダシの入った鍋を置いた。


「英二。」


ちょこちょこやっていると、後ろから国光が俺の腰に手を回す。


「んー?どうしたよ?珍しいね、国光が俺に甘えるなんて。」


くすくすと笑いながら言うと、無理矢理後ろを向かされて、唇にキスをされる。

段々と深くなっていくそれに、俺は息が苦しくなって国光の胸をドンドンと叩いた。


「…国、光?」

「…夕食より、お前がいい。」


至極真面目に告げられた言葉に苦笑を返して、俺はコンロの火を消した。




























翌日、痛む腰にむち打って出勤すると、部長に呼び出された。

何だろうと部長のもとへ向かう。

そして、差し出された写真を凝視して、思わず間抜けな返事を返していた。


「は…?」

「うん、取引先のお嬢さんが君を気に入って下さってね。接待だと思って頼まれてくれないか?」


「頼んだよ。」と、半ば無理矢理に渡された写真を持って、俺は自分のデスクに戻る。

差し出された写真には、柔らかく微笑む女性。つまりは、見合い写真。日程は今週の日曜日。

俺に、見合いをしろ、と…?

確かに、戸籍上、俺は未婚者だけど。

でも、そう言われても、俺には心に決めた人が居て。

ずっと隣にいると誓った人がいて。

勿論断る。

だけど。

せっかくデートしようって約束したのにな…。

困惑した頭の中、それだけが頭をかすめていった。


「なんだよ手塚。逆玉か?羨ましー!!」


同僚の空田が心底羨ましそうにそう言う。

俺がこの会社に入社したのは2年前。

丁度俺の名字が変わった直後に入社したので、皆に怪しまれずに『手塚』という名字で呼ばれてる。

それでも最初は、『手塚』と自分が呼ばれるのに思わず国光を探してしまったり、

書類に菊丸と書いて誰だ?と言われたりしていたけれど。

空田はため息を付きながら俺の見合い写真を見ている。

変わって欲しいよ、出来るなら。

俺は喉まで出かかったその言葉をギリギリで飲み込んだ。

写真を奪い返し、しょうがないので鞄にしまう。


「あれ?そういやお前、いつもしてる指輪は?」


俺の指を見て、空田がそう指摘をした。

昨日風呂入るとき国光に外されて付けるの忘れてた…。

そう思い出して、自分の指をじっと見る。

指輪焼けで、そこだけかすかに白い。

いつもしている指輪って言うのは、名字を貰ったときに国光がくれたモノ。

銀色のシンプルで繋ぎ目がない作りの指輪。

一応、結婚指輪ってヤツ。

俺は一応未婚者だから、左手の薬指に付けてても飾りにしか思われていない。

でも、いつもその指に付けてる。


「あぁ。忘れてきただけだよ。」

「ふーん。珍しいな。入社以来、初めてじゃねぇ?」

「そうかもなー。」


指輪焼けをしているのがなんだか嬉しくて、俺は少しだけ微笑んでパソコンに向かう。

俺の隣で空田がため息をひとつ付いた。

逆玉…。

その言葉を耳の端に留めながら、俺はキーボードを叩く。

それからどれくらい時間がたっていたのだろうか。

気付けばお昼時間になっていた。

楽しい楽しいランチタイム!

自作の弁当を開いて口にしようとしたとき、


「あの、手塚さん…。」


隣の部署の女子社員から呼び出されて俺は屋上へと向かった。

風がびゅうびゅうと吹き荒れている屋上は、当然のように人の姿はない。

なんだろうと目の前にいる女子社員を見ていると、ゆっくりと赤く染まった顔を上げた。

え、まさか…


「ずっと手塚さんのことが、好きでした。」


潤んだ目で告げられた言葉は、告白そのもの。

入社以来、告白されたことは何度かあったけど、

同じ部署の子以外から告白されたのは初めてで、少し驚いた。

もしかして、指輪のお陰だったりすんのかな?

そう思って、おもわず緩みそうになる頬を何とか抑えて返事を返す。


「ゴメン、俺、好きなヤツいるから。」


返事を聞いたその子は、潤んだ目を更に潤ませて、頭を下げて屋上を出て行った。

少し遅れて自分のデスクに戻った俺は、その後も次々にと呼び出され、告白された。

結局戻ってこれたのはランチタイム終了10分前。

時間がなくて焦って弁当を食べ始める俺を見て、空田が呆れたようにため息を付く。


「なんだよ。」

「あの指輪、何気にああやって告白しようとしてた子遠ざけてたの気付いてたわけ?」

「全然。いやー俺ってモテんだねー。」

「手塚さんは離婚したんですか?って、今日1日で何人に聞かれたと思ってんだよ。

 その上、見合いのことも噂になってお前が未婚者なことバレ始めてんぞ?」

「へぇー…離婚、ねぇー。」


国光が聞いたら怒るだろうなー。

空田の後の言葉は聞き流して、そんなことを思いながら弁当を食べきった。


「あ、お前見合いにあの指輪はして行くなよ?」

「わかってるよ、そんなことくらい。」


見合いの相手の指に結婚指輪などはめられていれば、例えそうじゃなくても誰だって気を悪くする。

それも取引先のお嬢さんが相手なら、どんなにして行きたくても、外して行くしかなかった。

本当は、これは結婚指輪で俺には手塚国光っていうすっごく大事な人がいるんです。

そう言いたいのだけど、当然のように無理だろう。

珍しい長期休みの最初のデートも潰れたしー。

小さくため息を付いて、俺は弁当箱を閉じた。




























「休日出勤なら仕方がないだろう?」

「本当に、ゴメンっ!!!」


帰るなり謝り倒す俺を迎えた国光は、呆れたように見下ろして俺の髪を撫でる。

昔っから髪を撫でられんのって好きじゃないけど、コイツだけはやっぱり特別。

ついつい嬉しくなって笑みをこぼしちゃうんだよね。


「気にするな、時間ならある。それよりも、無理はするなよ。」


そんで、いっつも俺の心配をしてくれるんだ。

あーもう、大好き。


「ありがとっ国光!!!」


飛びつくように抱きつくと、ちゃんと受け止めて抱き返してくれた。

あー、幸せ。

見合いのことを言わなかった事がちくりと胸に刺さったけれど、

瞼に落とされた口付けに俺は機嫌を最高にして微笑む。

そして、ふと嬉しいことを思い出して、国光の目をじ、と見た。


「そういやさ、誰かさんのお陰で指輪、今日初めて付け忘れてったんだよ。」

「あぁ。脱衣所にあったな。」


苦笑して国光が答える。


「そしたらさ、俺が離婚したって思われちゃったらしくて、

 告白の嵐!!凄くない?俺ってモテモテ〜!!」

「…それを俺に聞かせてどうするつもりだ?」


答えた国光の言葉は少しのイライラを含ませていた。

思った通りの反応に、俺はちょっと気を良くして強めにぎゅっと抱きつく。


「英二?」

「でもさ、それって逆を返せば今まで国光が守ってくれてたって事ジャン?

 それに気付いて、俺ちょっと幸せだったんだよー。」

「…そうか。」


あまり興味なさそうに聞こえる国光の一言がとても嬉しそうだということに気づけるのは、

きっと俺と限られた少しの人だけ。


「そだよ。」


ゆっくりと顔を上げると、柔らかい目線と目が合う。

目を閉じれば、啄むような口付けが降ってきた。










続く→