逃げ出したくなるような衝動と、

投げ出したくなるような葛藤と、

どうしようもない感情を両腕に抱え、

君のもとへ行く。




























伝えたいことがあるんだ。




























ジーワジーワと、2、3週間を寿命とする虫の鳴き声がどこからか聞こえていた。

赤く染まった地面にポタリポタリと、頭皮から溢れだした滴が肌を伝って地面に落ちる。

またひとつ、顎を伝ったその滴を、菊丸はグイ、とその腕で拭った。

しゃがみ、俯いたまま荒い息が続く。

始めた時よりも随分と長く伸びた影が、その時間の経過を表していた。

頬に貼られていた絆創膏はいつの間にか剥げ、

散乱しているテニスボールの下敷きになっている。

手塚は足下に転がっているボールを掴んで、ゆっくりと菊丸に近寄っていった。


「菊丸。」

「…あ、手塚。」

「そろそろ、鍵を閉めたいんだが。」

「あー…そーだね。ゴメン。」


さんきゅー、と笑って、菊丸は跳ねるように立ち上がる。

その拍子にまた汗がパタパタとこぼれ、赤い地面に吸い込まれていった。

手塚はそれを視線で追って、ゆっくりと菊丸に向き直る。

菊丸は腕を背に回して、グイグイと筋肉をほぐすように腕を引っ張っていた。

菊丸の頬に、また一筋、汗が落ちる。

それが地面に落ちる前に、手塚は菊丸の頬に手を伸ばした。





触れた指が

触れられた頬が


異常に、熱い。





あの日から、ずっと。




























「英二ー!!アイスコーヒーひとつ!!」

「あーいよっ!!」


振り返った菊丸が、手に持つ銀色のお盆を降りながら答えた。

腰に巻いたエプロンのポケットに入っているメモ紙に書き込みながら、教室の奥へと消えていく。

秋と呼べる季節になって暫く。

浮き立つような空気を纏った校内は、文化祭真っ最中。

喫茶店を催した菊丸のクラスはお昼時と呼ばれる時間の所為もあり、客足も多く忙しかった。


「乾、アイスコーヒーひとつと、アイスミルクティーふたつね。」

「了解。それを届けたら交替だって。」

「やった!もー腹へってさぁー!!」


笑いながら、菊丸は乾の出したガラスコップ3つを、注文先へと届けに行く。

忙しい忙しい、と言いつつも、菊丸は楽しげに笑っていた。

その後ろ姿を見ながら、乾は少し疲労した肩をコキ、と鳴らす。

クラスメイトに交替の旨を伝え、着けていたエプロンを外した。


「乾。」


菊丸を待つ為に教室に留まっていた乾が掛けられた声に振り返ると、

手塚が何かファイルのようなものを持って立っている。


「手塚。生徒会の仕事かい?お疲れ。」

「あぁ。実行委員はいるか。」

「そろそろ戻ってくると思うよ。」


そう言って乾が振り返ると、

もう暑い季節ではないのに、菊丸が制服の袖口をまくりながら歩いてきた。

乾がヒラリと手を上げると、菊丸も手を振り返す。


「あれ、手塚じゃん。」

「8組実行委員は菊丸だったか。」

「ヒッデー!忘れてやんの!!あ、何か提出忘れでもあった?」

「いや、一応の見回りだ。何も問題ないか?」

「ばっちり!ゼッコーチョーだよん!!」


にぃ、と笑った菊丸がピースサインを示したところで、


ぐぎゅるるるる…


タイミング良く菊丸の腹が鳴る。


「あ…。」

「昼食にしようか、菊丸。」


くつくつと笑っている乾を恨めしそうに見やりながら、

菊丸は腹が減った、と呟いて腹をさすった。


「手塚、昼は。」

「いや、まだだが。」

「いつ食べる気だい?」

「あと2クラス回ったら終わりだからな、それからだ。」

「だったら待ってるよ、ついでだし。待てるだろ?菊丸。」


にんまりと笑った乾がそう言って菊丸を見ると、

菊丸はムッとした顔をして座っている乾の頭を叩く。


「我慢出来ない子供じゃないっつーの。」

「どうだろうな。」

「乾ーーー!!」


からかうような視線を向けた乾に食って掛かる菊丸を見やりながら、

手塚はひとまず残りを見てる、と声を掛けた。


「部室だから。多分、みんないると思うよ。」


背にかけられた乾の声に一度振り向いて頷くと、先行ってるなー!と、菊丸の声がする。

もう一度頷いて、手塚は歩きだした。





ファイルを持つ指先が、

触れてもいないその指が、

異常に、

熱い。




























昼食を食べ終わった後、少しすると部の方の当番だった菊丸は

部のテントの裏で同じくすぐ当番になる河村と談笑していた。

その斜め前で、手塚が生徒会のモノであろう書類に書き込んでいる。


「こんな時まで大変だね、手塚。」


ふと河村が手塚に声を掛けると、手塚は書類から顔を上げた。


「いや、そうでもない。もう殆ど終わっているしな。」

「そう?程々にね。」

「あぁ。」


頷くと、手塚はまた視線を書類に落とす。

菊丸は腕をクン、と伸ばし、そのままゆっくりと机に突っ伏した。

それを見て、河村が笑う。


「幸せそうだね、英二。」

「うん。満腹ー。」


身体を伏せたまま顔だけを河村の方に向け、菊丸がにこりと笑った。


「そんなにおなかすいてたの?」

「すっげーすいてた。うち喫茶じゃん?

 俺腹ペコで喉カラカラなのに目の前でうまそーにジュースとか飲むんだもんなー。」

「はは、確かに。」

「っしょー?」


眠いー。と言いながら、菊丸はぺたりとその頬を机につける。

寝ちゃ駄目だよ、と笑う河村を見ながら、菊丸はにひ、と笑った。

直後、前方からガタ、と音がする。


「手塚、もう行くのかい?」

「あぁ、ひとまず終わったからな。俺もクラスの当番がある。」

「そっか。」


頷いた河村を見ながら、手塚は荷物を持って椅子を机に戻した。

それから、その視線を菊丸に向ける。


「菊丸、寝るなよ。」

「うぃー。」


忠告をした手塚に、菊丸は軽く手を振った。

土を踏む音がだんだんと遠ざかっていき、菊丸に耳に届かなくなる。


「英二、河村。交替だよ。」

「あ、うん。わかったよ、不二。」


菊丸と河村の後ろから不二の声が響き、それに答えた河村が立ち上がった。


「英二、行こう。…英二?」

「どうしたの、英二。寝てるの?」


いつまでも立ち上がらない菊丸をいぶかしむように、河村と不二が声を掛ける。

一度首を振って、菊丸は起き上がった。


「顔赤いよ、英二。」


少し心配そうに、不二が言う。


「やーもう、意識飛ぶところだった。」


には、と菊丸が笑うと、河村と不二は呆れたような顔をした。

ゴメン、と菊丸が謝ると、しょうがないな、と二人は顔を見合わせて笑う。


「かーいどー!交替するよんっ!!」

「ッス。」


さっさとエプロンを着けて菊丸がテントにいた海堂に声を掛けると、

海堂は一度頭を下げてテントの裏へ戻って行った。

息を大きく吸って、大きく吐く。


「よし!タカさんガンバロー!」

「うん。」


よっしゃ、と意気込む菊丸と穏やかに笑う河村は、

パチン、と軽い音を立てて片手を合わせた。





冷たい机に押しつけていた頬が、

触れられてもいないその頬が、

異常に、

熱い。



























あの日からずっと、


菊丸に

手塚に


伝えたいことがあるんだ。









続く→