真夏よりも少しずつ少しずつ、夜が長くなっていく。

陰りを見せ始めた壁に、文化祭まであと1ヶ月。と書かれた紙がひらひらと揺れていた。


コンコン


遠くで運動部の声が響く中、軽いノックの音がして生徒会室の扉が開く。


「あれ、手塚一人?」


顔を覗かせた菊丸に、手塚は視線を向けた。


「副会長は資料を集めに行っている。」

「そっかそっか。今日も部活無理だろ?お疲れ。」


大変だね、せーとかいちょー。

そう言いながら、菊丸は手塚に一枚、プリントを渡す。


「それ、うちのクラスの模擬申請。今日締め切りだよな?」

「あぁ。」


頷き、手塚は受け取ったプリントをファイルにはさんだ。

それを見て、んじゃ、よろしく。と菊丸は手塚に背を向ける。


「菊丸。」

「ん?」


立ち去ろうとした菊丸を、手塚の声が呼び止めた。

菊丸は振り返って手塚を見る。


「大石にこれを渡しておいてもらえないか。」


そう言って手塚が差し出した紙を覗き込んだ菊丸は、げ、と声を上げた。

手塚が差し出したのは、校内ランキング戦の対戦表。


「手塚と同じブロックーーー!?」

「不満か。」

「うーーー嬉しくはないっての。」


まだ手塚よりも己の実力が劣っている事を菊丸はわかっている。

暫くムッとしたような顔をした後、途端ににぃ、と笑って菊丸は手塚を見上げた。


「ま、負けるつもりもないけどねん。」


それに頷きを返して、手塚は菊丸を見下ろす。


カチリ


と、互いの視線が、合った。

同時に、鼻の奥が、つん、とする。




「…………手」

「…………菊」




同時に声を発し、同時に口をつぐむ。

狼狽したような視線と沈黙に、互いが互いを持て余していた。

つん、とした鼻の頭が、鈍く痛む。

心臓がうるさい程鳴って、身体を突き破って出てきそうだった。

息をしようと口を開けば、身体中がジクジクと痛む。

それでも、視線だけは、外さずに。

そして再度、お互いに口を開こうとした、時。


「あっれ、英二?」


呼ばれた声に菊丸がゆっくりと振り向くと、

生徒会の副会長が沢山のプリントの類を手に、こちらへと歩いてきていた。


「何やってんだ?お前。」

「え、あーー、えと、文化祭の模擬申請。今日締め切りじゃん?」

「あーそういえば、8組出てなかったなー。」


カラカラと笑う彼に、身体中の鈍い痛みが引いていく。


「手塚、これ、大石に渡しておくな。」


未だ手塚の手にあったその紙を受け取って、菊丸がヒラリと揺らす。


「あぁ、頼む。」

「うん。じゃーね、二人とも。仕事頑張れよー!」


ニコ、と笑った菊丸は、そう言って廊下を駆けて行った。

半ば呆然と、手塚はそれを見送る。


「手塚?」

「あぁ、いや。…あったか?」

「あ、そーそー。あったぜー。」


手に持っているそれを見せる彼に、手塚は一度頷いた。




























逃げ出したくなるような衝動と、

投げ出したくなるような葛藤が、

どうしようもない感情でジリジリと焦がれている。


菊丸に。

手塚に。


何故彼なのかと疑問に思うけれど、

結論は出てこず、ただひたすら、彼だけに焦がれるばかり。


側に有りたいと、何かが告げる。

手を取りたいと、どこかが叫ぶ。

共に行きたいと、誰かが望む。


触れた指の熱を

触れられた頬の熱を


伴って。





あの日から、ずっと。




























文化祭も終了間近。

体育館に集められた生徒達は、この閉会式と後片付けを終えると翌日は休み。

興奮と歓喜に満ちた雰囲気が体育館に充満していた。

ステージに立つ教師の言葉など、皆さして聞いてはいない。

勿論、菊丸もその一人。

隣に座る乾と、今日あった事や明日の部活について雑談を交わしていた。


『閉式の言葉。』


マイク越しに響いた高い女子生徒の声に、菊丸はピクリと反応してステージを見る。


「手塚も忙しいね。」

「うん。生徒会長で部長とか、ありえないって。」


ステージ上で淡々と言葉を紡ぐ手塚を見ながら言った乾の言葉に、

菊丸は一度頷いた。

視線を手塚に向けようとして、やめる。

首を左右に振って、それとなく俯いた。


『−−−−−最後に、これは個人的な連絡なのですが。』


あまり耳に入っていなかった手塚の言葉が、菊丸の耳に飛び込んでくる。

手塚の放った一言に、場が少しざわめいた。

すぅ、と息を吸う音が響いて、

それと同時に騒がしかった体育館が水を打ったように静まり返る。


『2年8組の実行委員。』


低い低い声がマイクを通って、スピーカーから言葉を紡ぐ。

大きく体育館に響いた手塚の声に、菊丸は俯いていた顔を上げた。

クラスメイトの視線が自分に集まっているだろう事は感じているけれど、

構ってはいられない。


『この後、書類を生徒会室まで出しに来て下さい。』


書類−−−−?

菊丸は呆然としたまま、ステージ上に立つ手塚を見た。

手塚は強い瞳で、菊丸をじっと見ている。


『…以上です。−−失礼致しました。』


深々と頭を下げて、ステージから手塚が立ち去った。

書類…書類なんて…知らない。

必要だったものは、もう何週間も前に提出してある。


「昼前に何もないと言っていなかったか?」


ステージに目を向けたまま、菊丸の隣に座っていた乾が不思議そうな顔をしていた。

乾の言葉に、菊丸の肩が一度揺れる。


「…俺…言っても…いいの、かな…。」


ぎゅ、と握った掌の中の湿度が、じわじわと上がっていった。

それと同じように、目の奥の奥の方が熱くて仕方がない。

口の奥を噛み締めていなければ、震え、泣いてしまいそうで。

呟いた声が聞こえたのか、乾が菊丸の方を見た。


「菊丸?」


手塚の立ち去った後のステージには、少し困惑気味の生徒会副会長が立っている。

所定の位置に戻った手塚の方を、菊丸は見る事ができなかった。




























始めは歩いていた歩調をだんだんと速め、生徒会室への廊下を走る。

逃げ出したい衝動に抗いながら、真っ直ぐに前を見て。

今までの自分では有り得ないな、と思いながら、

今の、この浮き足立った校内の雰囲気で何とか許してくれることを願う。

すれ違った多くの生徒が、廊下を走る手塚、という図に我が目を疑っていた。


理性なんて、いつの間にかなくなっていた。

残っているなら、嘘をついた個人的な呼び出しを、

わざわざ大勢の前で出来るわけがない。


「っ、は、はぁっ。」


普段から体力づくりには余念がなく、この程度走った位では切れる筈のない息が、

明らかな動機をもって途切れていく。


「…っ、」


切れた息の中で、手塚はその名前を呼んだ。

手塚の頭の中を閉めているのは、ただひとつ。

体育館から生徒会室のある校舎までの距離が、ひどく歯痒かった。

やがて、生徒会室の扉が見えてくる。

その前に、影。

他に人影はない。

生徒会の人間はまだ体育館の後片付けと打ち上げの準備をしているし、

一般生徒は一度教室に集まっているはずだ。

生徒会室は、特別教室ばかりが集まっている棟の中。

全てわかっていての、呼び出し。


「菊丸!!」


壁に預けていた背を起こした菊丸の腕を、手塚は走った勢いのままに掴んで、

驚いている菊丸を生徒会室に押し込む。

バランスを崩して床に座り込んだ菊丸を横目に、

手塚は息の切れた肩を大きく揺らしながら、入り口の扉をゆっくりと閉めた。


「……手塚?」


菊丸の驚いた声は、手塚の切れた息に対するものか、今の行動に対するものか、

その、どちらもか。

暫く息を整えるよう呼吸を繰り返して、手塚は顔を上げた。


「菊丸。」


呼んだ名に、菊丸の肩が揺れる。


理性など、とうにない。

あるのは、

逃げ出したくなるような衝動と、

投げ出したくなるような葛藤と、

どうしようもないほど、焦がれる感情。







「好きだ。」







手塚の口から出てきたのは、たった3文字の言葉だった。


もっと言い方があるだとか、

3文字で表現できるような感情ではないだとか、

吐き気がするほどの激情が渦巻くけれど、

手塚の口から出てきたのは、そのありふれた言葉だけ。

とたんに足の力が抜けて、手塚はずるずると床に座り込んだ。


「好きだ、菊丸。」


そんな言葉では足りない、と思うのに、

手塚の口からはその言葉しか出てこない。

好きだ、なんて、どこまでも曖昧な言葉なのに。

ただ俯いて好きだと告げる手塚を見ながら、

菊丸はそれが空耳で、目の錯覚かと自身の感覚を疑っていた。


廊下を走って、息を切らして、乱暴に腕を掴んで、離して。

全校生徒の前で嘘をついて、名前を叫んで、溢れ出すように好きだと告げて。


そんな手塚は、知らない。

感情のままに、理性などないように行動する手塚など。

きっと、誰も。


「好きだ…。」


手塚の呟いた言葉は生徒会室に響き、じんわりと溶けていった。

菊丸の身体が揺れ、その身体を支えていた腕が崩れる。

べちゃ、と少し痛そうな音が響いて、菊丸の背が冷えていった。

視界には、真っ白い天井と、蛍光灯。

それが、だんだんとぼやけていく。


「菊丸。」


呼ばれて、菊丸は首を左右に振った。

何も言えそうもない。

返事を、と、感情は焦るのだけれど、口にはできそうにない。

ゆっくりと立ち上がった手塚は菊丸に近寄り、

その顔を覗き込むように膝を折った。

瞳を閉じた菊丸に指を伸ばして、涙に濡れたその頬に、触れる。



触れた場所からジリジリと灼かれて、

燃え尽きてしまいそうだ。



手塚が親指で涙の跡を追うと、2、3度瞼を震わせて、菊丸が瞳を開けた。

水分の溜まった瞳が、まるでそれだけで生き物かのように揺れる。


「手塚。」


震えた菊丸の声が、手塚を呼んだ。

見つめられた手塚の瞳が、菊丸と同じように揺れる。

口を開けばこぼれ落ちそうで、必死に奥歯を食いしばった。

そんな様子を濡れた瞳で見つめながら、菊丸は一度笑う。





「…俺も、好き、だよ。」





ぽたりと手塚から落ちた滴が、菊丸のものに混ざっていった。




























静まりかえった生徒会室の中、遠くに生徒達の声がする。

なおも浮かれたその様子に、あぁ、明日は休みだ。と手塚は頭の端で思い当たった。

繋がれた掌と寄せた肩から伝わる体温が、隣にいる互いの存在を実感させている。


「そろそろ、片付け、行かなきゃ。」


繋いだ掌をギュ、と握り返して、菊丸が言った。

それに、手塚が一度頷きを返す。

立ち上がった菊丸が、手塚を見下ろしながら照れくさそうに笑った。

手塚も立ち上がると、二人で生徒会室を出る。

何も話さずに廊下を歩き、特別教室ばかりの棟と一般教室ばかりの棟の狭間に出た。


「あー…うーん。手塚、遅くなる?」


立ち止まって窺うように手塚を見上げる菊丸を見下ろし、手塚は一度頷く。


「あぁ。打ち上げもすると言っていたから。」

「そっか。」


そう言って困ったように笑った菊丸を見て、手塚は菊丸の言葉の裏に気付いた。


「明日。」

「…うん?」

「明日、菊丸の家に、迎えに行く。」


手塚の言葉に菊丸は目を見開くと、途端に満面の笑みを浮かべる。


「うん。えっと、何時?」

「菊丸の都合のいい時間で良い。」


嬉しそうな菊丸に、手塚はそう言って一度頷いた。

すると菊丸は少し俯いて、酷く照れくさそうな、嬉しそうな顔で頬をかく。


「何時でもいー…けど、できたら、なるべく早く。




 早く早く、会いたいから、さ。」




言い終わるとパッと顔を上げ、んじゃ、また明日!

そう笑って菊丸は階段を駆け降りて行った。

その姿を見送って、手塚は階段を上る。


赤く染まった互いの顔は、暫く治りそうもない。








長い長い、果てしない道。

側に有り、手を取って、共に行く…

その、始まりの日。

伝えたのは、


ありふれた愛の言葉。

明日の約束。


ただ、それだけ。









終。




+コメント+

 25000キリリク、「曲(伝えたいことがあるんだ/小田和正)をもとに、塚菊。」でした。
 jack様、リクエスト、ありがとうございました!!
 本当は冒頭のメロ部分だけだったのですが、どうせですし、という事で
 要所要所でちょこちょこ歌詞を基にしてみたりしました。
 活かせてない気もしますけれど…。
 というか、せっかくの素敵歌詞を履き違えている様な気もします…!!(汗)
 2年次に乾と同じクラスなのは茶瓜的マイ設定です。あまりお気になさらずお願いします。
 個人的にはとても楽しかったです!でもこれちゃうやんけーって場合は
 リコール受け付けますので、バシッと言ってやって下さい!
 リクエスト、ありがとうございましたv

2006-04-21 茶瓜。