千年の恋歌。




























いつになく重苦しい空気が流れていて、菊丸はきょろきょろと辺りを見回してしまう。

場所は、といえば見慣れた校舎の一郭にある宿舎の中の、和室で。

見回せど見回せど、重苦しい空気に同調するような険しい表情しか見つからなくて、

菊丸は混乱から来る頭痛を覚えた。

一体何がどうなって、こんな事になっているのか。

いきなりこの場に連れてこられた菊丸には、さっぱりわからない。

相変わらず食えない笑みを浮かべて隣に立っている親友に視線を向けて、

助けを求めるように名前を呼んだ。


「不二。」

「何?英二。」


食えない笑みと同じく、とぼけた答えを返してくる親友に、菊丸はひとつため息を吐く。


「これ、何?

 説明してくんなきゃわかんないよ。」


先程から言っている重苦しい空気を発しているのは、

目の前で正座をして座っている我が部の部長と、向かい合って同じく正座をしているライバル校の部長の二人。


「見てわからない?」

「わかるけど、どうしてこうなってるのかがわからないっての!!!」


確かに、見ればわかる。

向かい合って座っている二人の間に置かれている物を見れば、何をするかは一目瞭然だった。


「題を付けるとすれば…そうだね、英二争奪百人一首大会!って所かな?」

「はぁ?」


確かに、二人の間に置かれているのは百人一首の札で、二人はそれを挟んで座っているのだから、

これより行われようとしていることは百人一首以外の何物でもないのだけれど。

英二争奪…?

気になる単語に、菊丸は首を傾げた。


「事の発端は跡部がうちの校門で君を待っていたことだよ。偶然一番初めに鉢合わせたのが手塚でね、

 当然偵察かと思えば、君を待ってるって言うじゃない?だからこうなったわけ。」

「…不二、わかりにくい…。」

「だーかーらー!!大事な恋人を連れていこうとする跡部に、手塚がそんな事させるか!ってなって、

 だったら奪ってやるよ!ってなって、こうなってるんだってば。」

「はぁ…。」


とりあえず、勝手に菊丸を待っていた跡部に手塚が鉢合わせて、そこで口論になり、

跡部が菊丸を奪う目的で百人一首で勝負することになったらしい。

不二はたまたまその場に出くわして、楽しそうだから、とこの勝負を提案したらしい。


「手塚も何でそんなこと了承するかな…。」


相変わらず重苦しい空気を漂わせたままにらみ合っている二人のうち、

常なら了承するはずもない恋人の方を見て菊丸は小さく呟く。


「手塚が勝ったら、跡部はもうちょっかいかけないって約束だからね。」


菊丸の小さな呟きを聞きつけた不二は、ふふ、といつものように笑いながら英二の問いに答えた。

そして、はい、と札を渡す。

何、と不二に視線を向けた菊丸の肩をトントン、と二度叩いて、

不二は菊丸を二人の間…散らばっている札の前に座らせた。


「君はすなわち賞品だからね。勝負とは言え、本当は勝敗を選ぶ権利は英二にあるんだよ。」


つまりは、遠回しにお前が読め、と言いたいらしい。

菊丸は有無を言わせぬ雰囲気を漂わせた親友を恨めしげに見つめた後、

相も変わらず重苦しい雰囲気を漂わせている二人を交互に見た。


「二人とも、本気?」

「当たり前だ。」

「当然だろ。」


同時に返ってきた答えに、菊丸は痛みの蘇ってきた額に手を添える。

そもそも、俺の意見は無視ってわけ…?

負けちゃったら俺の気持ちはどうなる!と、菊丸は恨めしい視線を手塚に向けるが、

悲しきかな、手塚は視線のみで感情を汲んでやれる程器用ではない。

睨まれているのだと勘違いして、少しだけ切なそうに目を細めるだけだった。


「何で、テニスで勝負しないのさ。」


互いの共通点といえばそれだろう、という代議名聞のもと、

それだったら手塚が勝てるのに!と思って菊丸は呟く。

それに答えたのは、大真面目な菊丸の恋人…もとい、我らが部長だった。


「顧問の許可も得ず、他校生と非公式とは言え試合をするのは良くない。

 それに、テニスを賭事の対象とするのも好ましくないな。」


百人一首だったらいいのかよ!という叫びを、菊丸はギリギリで心の中に閉じこめる。

良くも悪くのテニス馬鹿なこの手塚が好きなのだから、しょうがない。

あっそ。

と、小さく呟いて菊丸はやる気なく手元の札を見つめた。

そのやり取りを聞きながら、跡部は口の端を上げる。


「お前ら、やっぱり合ってねぇんじゃねぇの?」


くつくつ、と笑いながら告げられた言葉に、ハッと菊丸は顔を上げ、手塚は先程より強く跡部を睨んだ。


「合ってるか合ってないか、なんて今は関係ないでしょ、跡部。

 勝負が終わるまでは、二人のことに口出ししないでくれるかな?」


にっこりと、それだけで人が殺せそうな笑みを浮かべて、不二が跡部に注意する。

それに肩をすくめるだけで返事をして、跡部は菊丸に視線を向けた。


「菊丸。」


呼ばれた名に、菊丸の肩がびくりと震える。


「覚悟してろよ。」


ニヤリ、と自信の満ちあふれた笑みを浮かべて、跡部はその強い瞳で菊丸を射抜いた。

焦ったような顔で跡部を見る菊丸に、手塚は少しだけ眉間の皺を深めて、痛いような顔をする。

わずかな変化だったそれを見て不二は手塚の心中を悟ったが、まぁ、面白そうだし。と何も言わないことにした。


「えっと、じゃぁ、始めます。」


何となく正座をして一度強く息を吸い、菊丸は一番上にある札の上の句を読み上げる。


「有馬山 ゐなの笹原 風吹けば…」


少々首を傾げながらも菊丸がきちんと読めたのは、つい最近古典の授業で百人一首をしたからだ。

少し間をおき、下の句を読もうとして菊丸が口を開こうとした瞬間、

タン、と軽やかな音が部屋に響いた。

下の句を読む前に響いた音に驚いて菊丸が顔を上げれば、札を取ったのはどうやら跡部のようだった。


「下の句、合ってるだろ?」


取った札を菊丸に見せ、不敵に笑っている。

見せられた札の下の句と、読み札に書いてある下の句は確かに一致していて、菊丸は内心焦った。


「…合ってるよ。」


記憶力云々では、手塚は申し分ないのは知っているけれど、

相手も覚えているとなれば記憶力が物を言うものではない。

瞬発力、そして札の配置も、随分と重要になってくるのだ。


「まずは俺が先制、だな。手塚。」


いかにも愉快そうに笑っている跡部には一瞥を向けただけで、手塚は札に視線を戻す。

その様子を複雑な胸中で見守る菊丸は、不二に促されて次の句を読み始めた。




























それからしばらく終始無言で続けていたが、とある札を取った時、跡部がその札を菊丸に向かって投げた。


「え、な、何!?」


菊丸は驚いて読み札を持っている手とは逆の手でその札を取る。


「まさに俺の心情だな、と思ってな。」


何言ってんの、と菊丸が呆然としてみれば、

上の句だけで下の句、且つその句の意味まで理解した不二が、クスリ、と笑った。


「さしずめ天が手塚って事かな?」

「わかってんじゃねぇか。つっても、コイツは甘いな。

 俺だったら、風の力を借りて留めておくなんて事はしねえ。

 俺自身の力で天から引きずり下ろして、二度と帰れなくしてやるぜ。」


視線は菊丸を見つめたままニヤリと笑っている跡部を見て、菊丸は困惑して視線を手塚に向ける。

手塚も勿論意味を分かっているため、眉間の皺はくっきりとその深さを増していた。


「手塚が天って、どーゆー意味だよ…?」


一人意味のわかっていない菊丸は、困ったように不二に助けを求める。

菊丸の表情を見て、やはりクスリと笑った不二は、菊丸にもわかりやすいように説明をした。


「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ。

 訳はね、『空を吹く風よ、雲の中にある天女の通路を閉ざしておくれ。

 天に帰ってゆく美しい天女を、もう暫くここに留めておきたいのだ。』って所かな。」


説明を終えた不二を見ながら一度菊丸は頷いて、ハッとその意味を悟る。


「ちょ、オイ、跡部!!そんじゃ何か!?天女が俺って事かよ!!!」

「あぁん?他に誰がいんだよ。」


当然、というように肯定した跡部に驚いて絶句している菊丸を、不二が楽しそうに見た。


「俺の傍にいりゃぁいいだろ?菊丸。天に戻るより、幸せにしてやるぜ。」


菊丸が呆然としているのを良いことに、菊丸頬に手を伸ばした跡部の手を、

パシ、と軽い音を立てて手塚が弾く。


「跡部。」


短く発せられた言葉に、跡部は少し驚いたように手塚を凝視して、

クツクツと実に楽しそうに笑った。


「いくら感情を滅多に表さない鉄面皮でも、天女のことになると余裕がねぇようだな。」

「天女じゃないっての!!」


天女、と言われ顔を赤くした菊丸のツッコミはさらりと無視し跡部は笑う。

す、と一瞬菊丸に向けた手塚の視線は、変わらず少しの痛みを含ませたままだ。

それを見て、面白いと思いつつも、少しの苛立ちが不二の中で起こる。

手塚は顔を赤く染めている菊丸を見て、跡部に惹かれているのではないか、と

危惧しているに違いない。

最初の合っていない、と言った跡部の言葉が後を引いているのは間違いなさそうだ。

それは、菊丸にも言える。

いつもなら札を取る度に一喜一憂してもおかしくない彼が、

読み札を読む時以外は今まで終始無言だった。

それが何よりの証拠となる。

残りの札は、といえばもう少ない。

今までの結果は五分五分、若干跡部が有利といったところだった。

これ以降の結果で、どちらの勝利も有り得る。

このまま少しの痛みを含んだままだと、手塚は負けてしまうのではないか、と不二は思った。


「手塚。」

「何だ、不二。」


札を睨んでいた視線を不二に移して、手塚は不二に用件を問う。

菊丸も、笑っていた跡部も声を止めて手塚と不二に視線を向けた。


「もっと、信じてあげなよ。」


じゃなきゃ、可哀相だ。

一瞬だけ表情を消してそう言った不二に、手塚も菊丸も跡部も、目を見開いて彼を凝視する。

見つめていた手塚の目から、少しの痛みが消えたことに気付いて、

誰を、とは言わなかったけれど、不二はそれ以上何も言わなかった。

けれど、跡部はその一言に異論を申し立てる。


「おい、不二。助言はルール違反じゃねぇのかよ。」

「ボクは勝負については何も発言してないよ。ルール違反だなんて心外だな。」


相も変わらず食えない笑みを浮かべた不二に、

跡部はふん、と鼻を鳴らしてそれ以上は何も言わなかった。


「さ、続けて、英二。」

「あ、うん。」


言ったのは手塚に、だけれど、呆然としていた菊丸にも何かが刺さったらしい。

呆けていた菊丸の肩をトン、と叩いて上げられた目を見たとき、

何かが消えているのに気付いて、不二は心の中で小さく笑う。

その後の手塚は少しの痛みが消えたせいか、残った札の内7割を取ってみせた。

結果は、といえば、最後の追い上げが効いて、2枚差で手塚の勝利。


「跡部。」

「言い訳はしねーよ。約束だからな。

 …菊丸。」

「…何。」

「コイツに飽きたらいつでも歓迎するぜ。」

「な!!!」


ぐわ、と驚きに見開いた目で跡部を見る菊丸とその横でやはり眉間の皺を深く刻んでいる手塚を見て、

跡部はいつになく愉快そうに笑った後、じゃぁな、と帰っていった。

暫く呆然とした沈黙がおち、くすくすと小さく笑っていた不二が立ち上がる。


「さて、ボクも帰ろうっと。片付け、宜しくね二人とも。」


ひらり、と軽く手を振ってテニスバッグを担いで跡部と同じように帰っていった。

不二の場合はきっと、気を効かせてくれたのだろうと菊丸は思う。

心の中で小さく、不二に感謝した。


「片付け、しようか。手塚。」

「あ、あぁ…。」


薄暗くなった室内で、散らばった札を集めて形を整え、箱に戻す。


「…手塚が勝って、良かった。」

「あぁ。」

「合ってないって言われてさ、そうかもって思っちゃって…ちょっとヘコんでた。」

「…。」

「でも、手塚が勝ってくれたから、それで十分じゃんって。ゴメンな、手塚。」

「俺も、少しだけお前を疑った。…すまない。」


菊丸に向かい直り頭を下げた手塚に、菊丸はくしゃりと、少し情けない笑顔を浮かべた。


「んーん。お互い様、でしょ?」


へへ、と笑う菊丸の髪を一度撫でて、手塚は百人一首のケースを戸棚にしまう。


「帰るか。」

「そだね。」


戸締まりを確認して和室を出ると普段はかかっている鍵を閉めた。

鍵を返しに行く途中、手塚がぴたりと足を止めたので、菊丸は何だろうと手塚の方を見た。


「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな。」


小さく呟かれた言葉に、菊丸は目を見開く。


「え、何?」

「俺からお前へ贈るなら、これだと思った。」

「えっと、どーゆー意味…だっけ?」

「習っただろう。自分で調べろ。」

「えーー!?ケチッ!!!」


ぶー、と口を尖らせる菊丸を横目に、手塚は少しだけ笑みを見せて職員室へと菊丸を促した。








君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな。


『君の為ならこの命さえ惜しくはないと思っているけれど、

 君に会ってしまった今、末長く生きて君に逢い続けたいとも思っているよ。』









終。